2016年8月17日水曜日

当事の若者が何を願ったのか

高校時代に同期であった友人が、戦争末期、人間魚雷「回天」で敵艦に突撃した学徒出陣の若者が、当時としては珍しい録音盤に残した遺書のような2分40秒にわたる音源を、自分では聞き取り切れないからと送ってきました。

 参考までに、私が聞き取れた部分は次のようになっています。聞き違いもあるかと思います。という彼の注釈付きでした。

「父よ、母よ、弟よ、妹よ。そして長い間育んでくれた町よ、学校よ。さようなら。本当にありがとう。こんな我儘な者を、よくまあ本当にありがとう。
 僕はもっともっといつまでもみんなと一緒に楽しく暮らしたいんだ。愉快に勉強し、みんなにうんとご恩返しをしなくてはならないんだ。

春は春風が都の空に踊り、みんなと川辺に遊んだっけ。夏は氏神様のお祭りだ。神楽囃子があふれてる。昔は懐かしいよ。秋になればお月見だと言ってあの崖下にススキを取りに行ったね。あそこで転んだのは誰だったかしら。雪の日はみんな大喜びで外に出て雪合戦だ。昔は懐かしいなあ。

こうやってみんなと愉快にいつまでも暮らしたい。喧嘩したり争ったりしても、心の中ではいつも手を握り合っていた。

しかし、僕はこんなにも幸福な家族の一員である前に、日本人であることを忘れてはならないと思うんだ。日本人。日本人。自分の血の中には、3000年の間受け継がれてきた先祖の息吹きが脈打っているんだ。鎧兜に身を固め(以下不明)のために討ち死にしたもののふ(以下不明)と同じような血が流れているんだ。

(以下不明)の詔が下された十二月八日のあの瞬間から、我々は、我々青年は、余生の日々を祖国に捧げる(以下不明)
人生二十年。余生に費やされるべき精力のすべてを、この決戦にささげよう。完璧実行せよ。親父もおじいさんもひいおじいさんも企てしすべてを乗り越えて、行くぞ、やるぞ、(以下不明)し人々よ、(以下不明)の守りに大東亜の(以下不明)に健闘せられよ。

また幼き者へ。我らの屍を乗り越え、(以下不明)日章旗を翻して前進せよ。(以下不明)永遠(とわ)に栄あれ、祖国日本。我ら今ぞ征かん。南の海に、北の島に、すべてを投げ打って戦わん。大東亜の民が呼んでいる。十億の民が希望の瞳で招いている。

みんなさようなら。元気で征きます」

音源を再生してみたが、私にもこれ以上は聞きとれなかった。
それで、以下のように返信しました。

録音が良くないのか、確かに聞き取れません。
しかしながら、当時の若者たちが何を大切に思い何を願ったかは伝わってきます。

終戦記念日を迎え、いろいろ考えてしまいました。
戦争が良いか悪いかということだけで論ずれば、良いという人は皆無でしょう。

学校では、近現代史というのを授業では学ばなかった。時間が足りないというのが理由であったが、この時期のことに触れると何か不都合なことが浮かび上がってきてしまうからなのではないかと、今にして感じます。
時間が足りないのなら、古代史は考古学に譲って、そこを省けばよい。
「日本は悪いことをしたのだ。」ということのみを刷り込まれた。

それに続けて所感を述べたのですが、長文になるため省略しますが、要は、喧伝されたことのみを無見識に信じるのは如何かと思う。良い悪いの問題ではなく、事実関係というものを時代背景も含め、検証しないまま軽々に口にすべきではない重みがある時代であったのではないか?という内容のものです。
機会があったら、アップすることがあるかも知れませんが・・・

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