2017年1月13日金曜日

「信」が守れないのに儒教国だとは

儒教って何なのだろう?学問というより宗教に近い側面があるように思えてならなかったので、少し調べてみた。
あるべき姿だと思うことが現実とは違っても、歪曲してででもこうであったのだと思い込んで、歴史を事実として受け入れることができず、或いはそれがそうでなかったことを「恨」とする文化を、儒教だとしている国すらある。
ほんの100年程前でも、識字率が数パーセントしかなかった国の、または漢字文化を捨てた国が、さもさも儒教の国であるかのようにいうのにも、違和感がある。

中国では、春秋戦国時代、諸子百家と呼ばれるさまざまな思想が生まれたが、中でも特に重要な思想と言えば、儒教である。
儒教は中国のみならず、東アジア全域に多大な影響を与え、創始から2000年以上経った現代にも、その影響は続いている。為になる文言も多い。
儒教の始祖である孔子が生まれたのは紀元前552年、春秋時代であった。それに続く戦国時代は数多の列強が覇を競って戦った戦乱の時代であった。
諸侯は武力によってその力を誇る「覇道」に従い、実力ある者が目上の者を蹴落として成り上がる実力主義が横行していた。
春秋戦国時代以前の周国が覇権を握った時代には、身分制度に基づいて秩序だった社会が営まれていたが、その時代の秩序はどんどんと失われていった。
そんな中にあって、孔子は周の時代の古き良き社会の復活を理想とし、身分制度による秩序と、支配者が徳を持って社会を支配する仁道政治を掲げた。

儒教の教えの基本に『五常』と呼ばれる5つの徳性があります。
仁:人を思いやること
義:私利私欲に囚われずに、己のなすべきことをなすこと
礼:仁を具体的な行動として体現すること。後には特に人間の上下関係で守るべきこと
智:学問に励むこと
信:ウソをつかないこと、約束を守ること、誠実であること
この五常を守り広めることで、五倫(個人と他者や社会との関係。父と子、君臣、夫婦、長幼、友情)と呼ばれる関係性を守り維持すること。
秦の始皇帝は法治主義を唱える法家の思想を重んじ他の思想活動を厳しく弾圧。儒教もその例外ではなく、その教えを説く者を生き埋めにし、その教えを記した書物を焼き払う『焚書坑儒』というのが成された。「焚書」というのが否定的に捉えられていることは、学校の歴史の時間に習った記憶がある。
しかし、漢の時代に入ると儒教の価値は見直され、武帝が儒教を学問の正統として、五経博士という役職を置くことになった。
以降、儒教は中国思想・宗教の中心的な考え方としてその影響力をアジア全域に広めた。
秩序ある理想社会の実現を目指して創始された儒教ではあるが、それが社会にもたらしたものは、良い影響ばかりではない。
儒教が広まることにより、「孝」の考え方も一般化していったが、行き過ぎた解釈によるその「孝」が、政治に思わぬ悪影響を与えた。
それが外戚の問題である。
簡単にいえば外戚とは、皇帝、または王の母親や、妃の一族を意味する。
TVなどで韓流時代劇を観ていると、その愚かで悍ましいばかりの弊害場面を厭というほど目にする。
外戚たちは政治面でも権限を与えられてしまい、その権力を維持したいがため、彼らが権謀術策を弄してでも好き放題をした挙句、世の中が乱れるという事態が度々繰り返された。
政治は乱れて民衆は飢え苦しみ、中国では最終的にそれは黄巾の乱を引き起こす原因となった。
三国時代には儒教の教えを嫌い、新しい思想の道を模索する者たちも現れた。
彼らは老子や荘子といった道家の教えを信奉し、世俗を超越した哲学的な議論を好んだ。実学とは相いれない「白馬学派」などというものまであった。
白馬は、「白」という字がつくから馬ではない、などと大真面目で論じていたのだという。

学問は、何のためにするのか?
科学的なことばかりでなく精神的な向上も求められて然りだが、「五常」さえ守ることができずに、嘘をついたり他人の所為にして自らを省みることもできないようでは、人倫が民度の根底に育つことは難しかろう。
人モドキと揶揄されても、抗弁できないことになる。

我が国では、江戸時代でも国民の大多数が文字を読み書きでき、儒学も机上の空論とはせず実学に発展させ、国学までも起こしたのである。明治維新の原動力ともなった。
日本における武士道として昇華した規範は、神道・仏教・儒教を合わせ、義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義と新渡戸稲造の「武士道」に顕されている。
「私」よりも「公」が優先される。

戦後、権利主張のみが叫ばれ、義務ということが蔑ろにされるようになった。
日本人の強さを支える精神的な教えは、日本を弱体化させる目的があったのか、陰に日向に追いやられてしまったかに見えるが、2千6百年にわたってDNAに染み付いた精神性は、大震災や大颱風などの大きな困難に直面すると自然発生的に命を吹き返す。
「日本人とはいったい何なのだ?」と、世界が驚嘆する対応力をみせる。
これらが残っているかぎり、日本人が誇りを失わず強くあり続けられるのだと信じる。
sinn 

0 件のコメント:

コメントを投稿