2017年1月5日木曜日

説得力のある反対運動とならないと

仕事が得られない地域で就職はできないから、好むと好まざるに拘わらず大都市への一極集中は起こり得る。

水のないところに水力発電所を作ることはできないし、湾の無いところに港はできない。
基地ということになれば地政学上の要害であることが必然的に求められる。
基地なんてものが無くてもよいのなら別であるが、現実問題としてはそうもいかない。
そういう意味で、沖縄の皆さんには多大なご負担を頂いていることは確かであろう。
住んでいれば、反対も賛成もあるのだと思うが、反対の声のみが大きく扱われる。
簡単な問題ではないが、本土に優遇的に住めるようにするということだって考慮の内にあって良いのかも知れない。
生まれ育った土地から離れたくない気持ちはわからなくはないが、我々だって職を得るために故郷を離れた。

基地や原子力発電所の問題は難しい。
地元の人だけではない人たちの思惑が入った反対運動が加われば、猶更混沌とする。

両問題とも命に関わる危険性を伴うから、必要だと思う人たちの意見の出し方は控えめにならざるを得ないが、反対する人たちは何故にいつも感情的に激高したような言い方になるのだろう?
それらが不必要だというなら、どうするのが良いのか納得できる代替案を提示すれば、話し合いは進むのかも知れない。

危惧するのは、どういうわけか反日運動と表裏一体に見えてしまうこと。
A新聞もM新聞も、戦前は戦争を煽っていたようにも感じられてならないから、戦後の手のひら返しで反日に固まってしまって、それが固まってしまったような気がしてならない。

誰にでも良いものというのはなかなか無いから、なおのこと穏やかに話し合うようにして欲しい。


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