2017年1月22日日曜日

法治?人治?衆治?

K国は、日本とは価値観を共有できない国ということで定着してしまい、日本国民の多くもそれを是認してしまっている。
法治国家とはとても言えないポピュリズム政治が、いとも平然となされているように感じる。

法というのは、そもそもが弱者の救済のために制定されるのだと思うが、頭に血が上った状態では冷静な判断ができるはずもなく、感情にまかせて法を無視しても構わないという行動を不思議にも思わないというのは、とても理解しがたい。
「崩壊に向かっているのでは?」と気づいている人がいたとしても、意見を述べることが自身の破滅に直結しかねない社会では、付和雷同して騒ぎ、保身を図るしかないのかも知れないが、大きく先を誤る。
政治も経済も混沌としているとき、誰も立ち上がることができないのだろうか?

何の関係もない米国に、慰安婦像を設置したとき、普通に考えれば戦略的な効果がどこにあるのかも考えず、後先なく日本への嫌がらせのためだけにやったのだと社告から認識されていると思うが、組織力も資金も交渉力も脆弱であるにも拘わらずそれがいくつかできたのは、中国の謀略だったのではないのか?と言う人もいる。
韓国人の背後でそれを煽り、反日が進めばもっけの好都合ということでとった戦略なのだとか。
捏造でもなんでも勘所を抑えて煽れば、いとも簡単にその流れに乗る国民性だと知ってのことだといわれてもいる。

現在の韓国における混乱も、そういうことで踊らされている恐れと言うものがあると感じる人がいないというのだろうか?余りに不自然で過激すぎる。
我慢してきた日本が、慰安婦問題はもはや外交カードにはならないのだとしたとき、改めて異常事態を続けてきたことに気づき、混乱しているということに見える。
どこを味方にするのが一番よいのか、ということが解らなくなってしまっていては、援護のしようがないということになる。


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