2017年1月28日土曜日

証拠よりも推定が優先する?

韓国人窃盗団が、長崎県対馬市の寺から盗んで韓国に持ち込んだ仏像「観世音菩薩坐像」(同県指定有形文化財)について、韓国の大田地裁が、元の所有主と「推定」される韓国の浮石寺(忠清南道瑞山市)に引き渡すよう韓国政府に命ずる判決を下したという。

韓国政府側は、判決を不服として即日控訴したが、理由として政府側は、仏像が数百年前に盗難により日本に持ち出されたという証拠が不十分で、なおかつ対馬の寺から盗んで持ち込んだものだけに、日本側に返還すべきと主張していた。
韓国政府の主張は、近年になく極めてまともである。
そもそも、韓国では棄仏の時代があって、多くの仏像が失われた時期があったのではないのか?
盗み出したのは、立証できる明らかな事実であるのに、司法判断においては非常に弱い「推定」を優先させて判決したのは法的安定性を甚だしく欠くと思うが、頭に血が上ってしまった国のいうことが、まともに戻ることは最早なさそうである。

オカルトめいたことを言う心算はないが、仏像を盗んで韓国国内に持ち込んで以来、セウォル号の沈没、経済不安、大統領の弾劾問題などなど碌なことは起っていなかろう。
日本の寺の法力で封じ込めていたものが、安住の眠りを妨げられて、仏罰として表れているのではないかと言う人もいる。
法治ということが蔑ろにされれば、いずれそれらの科は自分たちに返ってくるということになると思うが如何だろう?泥棒は泥棒なのである。


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