2017年3月13日月曜日

お互い様とお蔭様

ごく普通に考えて、人というのは自分が他の人に対して成したことよりも、他の人からやってもらったことの方が多い。他人様からのそれらを恩義と感じるか迷惑と感じるかは別にしても、圧倒的に周りから与えられていることの方が多い。
それなのに、不平不満を口にすることが多いというのも、人の常のように思う。
人からしてもらって当たり前だということは、この世に基本的にはない。
唯一そう言ってもよいのは、自分がそれに相応する行いをしているときに限られるのだと思った方がよい。
なまじっか中途半端に物があると、自らを省みることなく、何でも他に要求するようになるのかも知れない。
いっそのこと何も無くなってしまったとき、人様のことを有り難く思える感覚が蘇る。本来は善なるものが内にある。
それに気づいた人は、その恩義に報いようと頑張るようになるが、直接的にお世話をしてくれた人にその恩を返すことができないこともあるから、自分ができることを周りにいる同様の境遇下にある人にお返しすることをするようになる。順繰りということでもある。
お互い様、お蔭様、という気持ちが伝わり広がる元である。尊いことなのだと思う。そういう理念が育ってこそ、民度というものが上がる。他を慮ることのない自分中心の権利主張ばかりのぶつかりあいでは、社会は形成しがたい。優しさというものは生まれない。


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