2017年3月9日木曜日

近隣3か国が難しい

李辺等流(万葉仮名ふうに読んでリベラル)。
リベラルを標榜する人には、何故か特亜3国に拘る、乃至はことさらに擁護する意見を持つ人が多いように感じる。
それが日本国民の大方の意識とかけはなれていても、なんとか自分の主張する方向にもっていきたいらしく、捏造或いはプロパガンダによるものであったと判った事実であっても、頑迷にそこから出ようとしない。
残念ながら、その捏造に加担し、結果的に日本を貶めた記事を書いた先輩がいる。戦後の風潮は、日本が全て悪かったという流れの裡にあったから、ある程度はやむを得なかったのかも知れないが、その後同窓会などに出てくることはない。行方も定かではないと聞く。

彼らは、事実に基づかない主張が論破されそうになると、相手の意見を遮ってでも、一方的に我意を捲し立てる姿を見せるのが常である。論点をすり替えるくらいのことは平気でするから、話があらぬ方向にいく。
見ている側は、かなりいらいらする。
リベラルというのは、そもそもそれとは違うものなのではないのか。
少なくとも、論理矛盾がないような理想を目指すものなのだと思うが、彼らは自省することがないように感じる。

強制性が極めて疑わしい慰安婦問題や、実態が30万人などとプロパガンダでしかないようなことを根拠にしてものを言っても、国民はそんなことでは最早ミスリードされまい。
真に進歩的な、納得できる論を主張しなければ、信頼を得ることはできまい。

自分が信じるのは自由であるからとめはしないが、回し者呼ばわりされていることには気づいた方がよいと思う。贔屓の引き倒しになりかねない。

何も国粋主義的に日本ファーストを叫ぶ気はないが、国益を全く無視し、どこの国の国民かと思うような事実を無視した言動は、いかに頑張ってみたところで受け入れられまい。
主義主張というのは、何のためにあるのかということを離れたら、それは空論と呼ぶにふさわしいものになってしまう。
もうそろそろ、お互いにとっていかに苦しい事実であったとしても、真実を認めあうことをしないと、健全な今後には結びつかないのではないかと思う。

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