2017年3月16日木曜日

どうして慰安婦像の隣にも椅子があるのだろう

慰安婦像の隣に、何故もう一つ椅子があるのだろうか?
2002年に在韓米軍基地に忍び込んで遊んでいた二人の女子中学生、シン・ヒョスンさんとシム・ミソンさんの二人が、米軍の装甲車に轢かれて死亡するという痛ましい事件があった。
この時、韓国では大規模な反米デモが起こった。
もちろん今の慰安婦騒動やパククネ大統領の弾劾デモのように、その運動の主体は親北朝鮮勢力だったという。
その後、この少女二人のモニュメント像がつくられたというが、当時の韓国はそれが設置できる状況下にはなかった。その像はどこかに秘匿されてしまっていたらしいのだが、それを慰安婦像として転用したのだという話が、密かに広まっている。
だから少女像の顔は、そのときに死んだ少女に酷似しているという。
慰安婦像といいながら、少女にしか見えないのは、そういう裏があるのだという。米国を見据えたC国と北朝鮮がからめば、そんなくらいのことはしそうである。

保導連盟事件というのがある。これは、1950年6月25日の朝鮮戦争勃発を受けて、李承晩は、韓国軍と韓国警察に、共産主義からの転向者やその家族を再教育するための統制組織「国民保導連盟」に登録されている者たちと収監中の政治犯たち合わせ、という事件である。

朝鮮戦争時、韓国には慰安婦施設があったということや、ヴェトナム戦争時にも同様な施設があったばかりでなく、住民の虐殺や婦女暴行により生まれた混血児が多数いることは、世界の諸国が知っている事実であるが、それを韓国が謝罪したということは未だない。

こんなくらいのことは、大して調べてみるまでもなく、簡単に知れることなのだが、韓国人は知らないとでもいうのだろうか?それとも、知ってはいるが自国のことは棚上げで良いとしているのだろうか?
クリーンハンドの原則ということを言いたいわけではないが、感情的に大騒ぎする前に、自分たちのことも振り返ってみることをしないと、信用というものを壊滅的に失墜するときが来るのではないだろうかと思う。

慰安婦問題は、捏造であったと自らが認めた朝日新聞の記事と、言うたびにころころ内容が変わる元慰安婦の証言以外にはないように見えるのだが・・・
不可逆的ということで合意したのに、それを反故にして、ヨーロッパにまで像を設置するとは・・・
約束というのは、守るためにある。

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