2017年3月6日月曜日

挨拶の言葉まで不自由になった

食事を饗するとき、「お丈夫に召し上がってくださいね。」と進めるのに対し、「お辞儀なしに頂戴します。」と挨拶し、食べ終わった後「ご馳走様でした。」と礼を述べるのに応じて「お粗末さまでした。」と答礼する。
手土産を持参してそれを手渡すとき、「つまらないものですが・・・」と一言添える。
奥床しい挨拶の行き来ではないのか?

「粗末なものをたべさせたのか?」とか、「つまらないものを土産に持参したのか?」とか言って、これらの言葉を使えなくさせてしまった人たちがいる。
こんなのは、言葉尻を捉えて文句をいっているのに等しいと思うのだが。

この「お粗末さまでした。」「つまらないものですが・・・」を、言葉通りにしか受け取れないほど、日本人の感性は落ち込んでしまったのだろうか?

看護婦やスチュワーデスや女中なども、女性蔑視の言葉だとして看護師だとか客室乗務員だとかお手伝いさんだとかに言い換えられてしまっているが、本当に差別用語だと思っているのだろうか?
ほかにも、普通名詞でありながら使えなくなっている言葉というのは多い。
名詞というのは、そもそもものを区別するためにできたのであって、差別のためではあるまい。
そういうことを論って声高に言葉狩りをする人たちこそ、心の裡に差別意識をもっているのではないのか?言葉というのは使い方によるのである。
言葉狩りが行き過ぎれば、物の名前を言うのに不自由になる。
使えなくなってしまった言葉の中には、そもそもが差別用語ではない筈のものだって沢山ある。

何が目的でそういうのか知らないが、一部の人が騒ぐと、それに安易に流されてしまうきらいがあるように感じられてならない。
パソコンでものを書こうとしていると、漢字変換しない熟語が多すぎる。

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