2017年3月25日土曜日

何を考えて物をつくるか

陛下は、口にされる食べ物に、決して旨い不味いを仰せになることはないと聞いたことがある。
お立場上、料理を饗する側の責任をお考え遊ばしてのことであるとは思えない。
食べ物への感謝があるからだと信じている。
作物を育てる人たちは、少しでも美味しいものになるように努力するし、料理をする人は、美味しさを引き出して、食べる人に喜んでもらえるように、工夫や努力をする。
物の味がわかるという食通は、それはそれで幸せなのだと思うが、何を食べても美味しいと思う人の方が、もっと幸せなのだと思う。

先日通りかかった道に、以前は行列ができるほど繁盛していたお店があったのだが、なくなってしまっていた。
店主の拘りで、一時的に有名になったお店であったが、その拘りというのは客に喜んでもらうというより、自分の味を押し付けるような方向付けだったのかも知れない。
エセ通というのがいて、有名な店ということになると、それだけで旨いと思うらしいが、食べ物には好みがあるから、いつの間にか飽きられて寄り付かなくなったのかも知れない。
どちらの側に顔が向いているかによって、その後が決まってしまう。

立派な作品を残し、一流と呼ばれる職人ということで取り上げられていた番組を見たことがある。
その職人さんがポツリと言ったことで感銘を受けた言葉があります。
「日々工夫努力して、何時の日か陛下のお目にとまり、お手元に置いて頂けるようなものを作りたいと、仕事を続けてきた結果です。」
陛下ということは別にして、自分の技量を高めるのは使う人のことを常に考えての修行なのだと心底思っているのだと感じたのです。

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