2017年8月12日土曜日

昔から識字率が高かったから

選ばれた優秀な宣教師が、日本にはやってきた。
ザビエルもその一人であった。
日本の各地で布教したのですが、出会った日本人が彼に決まって尋ねた事があったのだという。
「そんなに有り難い教えが、なぜ今まで日本にこなかったのか?」ということと、「その有り難い教えを聞くことができなかったわれわれの先祖は、今、どこでどうしているのか?」ということだった。
自分たちは洗礼を受ければ救われるかもしれないけれども、洗礼を受けず死んでしまったご先祖は一体どうなるのか?ということである。
ご先祖様が居ないところに、自分だけ行っても仕方がない。「そんなだったらオラ、地獄に行ってもいいだ。」自分だけ良ければなどということを日本人は考えなかった。

無知と舐めてかかった民百姓にさえそう言われて、抗すべき言葉がなかったのだという。
キリスト教においては、洗礼を受けてない人は皆地獄ですから、ザビエルもそう答える他ない。すると日本人が更に追求するわけです。
「あなたの信じている神様というのは、ずいぶん無慈悲だし、無能ではないのか。全能の神というのであれば、入信した人のご先祖様ぐらい救ってくれる方法を考えてくれてもてもいいではないか。」

ザビエルは困ってしまい、本国への手紙に次のように書きました。
「日本人は想像以上に文化水準が高く、よほど立派な宣教師でないと、日本での布教は苦労するであろう。」と。
当時の中国にも、韓国にも、インドシナにもこうしたキリスト教の急所を突くような人間はいなかったのだという。
それはそうだろう。当時の日本は世界に類をみないほどの識字率を誇っていた。書物も読めるし学問もしていた。
この他にも『もし神様が天地万物を造ったというなら、なぜ神様は悪も一緒に造ったのか?(神様がつくった世界に悪があるのは変じゃないのか?)』などと質問され、答えに窮していたようです。
責め立てるのではなく、疑問に思うことに納得できる説明を求めたのである。

ザビエルは、1549年に日本に来て、2年後の1551年に殆どノイローゼ状態で帰国したのだと言われますが、日本を去った後、イエズス会の同僚との往復書簡の中で「もう精根尽き果てた。自分の限界を試された。」と正直に告白しているという。
その後に日本に来る宣教師には、日本特別ルールというのがあったらしい。
日本人は納得すれば入信もし、隠れキリシタンとなってでも命がけの信心を貫いた。

キリスト教が渡来した当初は布教を容認していた秀吉も、宣教師が奴隷売買に関わっていたりすることも知ったし、侵略の先兵として派遣されているのではないかとも見破ったりしたことで、バテレン追放令を出した。
宗教の是否をいいたいのではない。
どんなに有り難い教えであったとしても、それを利用しようとする人間が現れると、誤った運用がされかねないということ。

我が身のことのみでなく、広く人類のためになるものというのは、一つの道だけではないことは確かであろう。



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