2017年8月25日金曜日

将来のエネルギー源となるもの?

人が安心して平和に暮らすことができるようになる為には、何が必要であろうか?
人々が争うことなくすむのには、まず最小限の条件として、衣・食・住・エネルギーの四つが整えば可能になりそうに思える。
それにより、次の段階である人間らしく文化的な世界を作っていく精神的活動に移ることができるのではないかとも思う。

国際的な紛争になりそうなものとしては、まず真っ先にエネルギー問題がある。
これを巡って戦争もしてきた。
石油然り、原子力然りである。
原子力の利用については、その危険を十分に認識しつつも、必要悪として利用されている。
考えてみれば、石油も原子力も使わなくて済みそうな技術を、今の科学力をもってすればできなくはないような気がする。

それを目指すことは、既存の利権構造を根底から揺さぶることになるだろうから簡単にはいくまいが、例えばマグネシウムを利用するというのは有望なのではなかろうか?
燃やすことによる火力としての利用、或いはマグネシウム電池などというのが考えられよう。
マグネシウムは、海水中から殆ど無尽蔵に確保できそうだし、再生も可能な物質だといわれている。安定的に確保できる資源だと感じる。
その利用方法を開発するのに莫大な費用がかかったとしても、それらは後から十分回収できるからモトはとれるのではないだろうか?
しかし、これが議論されることは何ゆえか積極的ではない。

大前提として、新たに開発される技術を、一国のみの利益として享受するようなことを真っ先に考えるようでは、人類の繁栄は到底望めまいから、それをリードできるのは、精神的に安定して他人を尊重することができる人間性が優れた国民が多く住む日本のような国が始めることが適しているのだと思う。
海洋国である日本は、その資源たるマグネシウムを確保しやすいし、公ということを大事にする民度・精神性も高いから、人類の為ということになれば、共感も得やすい。

それらの展望を現実化していくためには国が纏まるということがどうしても必要となる。
世界は開闢以来争いの連続であった。
それでも、中心に据えた理想が高い国であれば、紆余曲折はあろうとも、連綿として長く続く歴史を繋ぎ続けていく。
日本はそもそも国の成り立ちが「シラス国」ということであった。
それを信じたから、どのような動乱を経験しても、国民は根底にある理念に立ち返り、纏まることができてきたのではなかろうか。
中心に据える旗印というのを守り続けてきたことも、与って力となった。

過去の時々に、人種差別撤廃を主張したし、五族協和も唱えたし、大東亜共栄圏というのも唱えた。
一国のみのことを考えたのではないことが、結果的には世界から植民地支配をなくした。
それを理解でき、多として感謝する国々が東洋にあったからこそ、日本が敗戦後に分割統治されることを免れ得た。
今にして考えてみれば、世界平和というもっと大きな理想を掲げて戦っていたら、違った展開になっていたのかも知れない。

日本が一つに纏まることを何とか阻止しようとする根深い動きが、日本に食い込んでいるように思える。一致協力した日本は恐ろしいらしい。
日本が理想を掲げて中心的に動くと、困ることがあるのか、近頃は露骨な動きを見せてきていて、批難を浴びてでも、国論の分断を図っているかのような人が国内にもいる。

しかしそれでも、2600年余も続いている国には、我々が今こそ意識しなおすことが必要な深い意味があることを、どこかで解っている人の方が多いように思えてならない。
「公」ということになれば自分の主張を抑えてでも尽くせるのが日本人である。
世界の救世主は日本に顕れるという預言は本当かもしれない。

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