2017年8月14日月曜日

できないのは他人のせいなのか?

対価というのを求めすぎということはないだろうか?
働いて、その収入を得るという話ではない。それであれば、見合う対価というのは自ずから決まるのだから求めることになんら疑問も起こらない。

そうではなくて、日常生活において、何をやるのにも「褒められないと」・「認められないと」・「励まされないと」続けられないというのは、少し情けなさすぎると思うのである。
甚だしいのになると、できなかったことを慰められないと、自分のことを棚に上げて他を恨むなんてことになる。

どんなことでも、できるようになるまでやるのが努力というもの。それは自分のことである。
頑張ってもできないことはあるにしても、それは仕方がないこととして受け止めるのは、誰もが経験することである。
子供は褒めて育てろと、訳知り顔に講釈を垂れる人がいるけれど、そんなことをしなくても信じて任せればよいではないか。

本当にやりたいことが有れば、誰が何を言おうとも、石に齧りついてでもやり遂げようとする。
そういう気持ちの強さを身に着けることができなければ、ほどほどで終わるということであって、いつもつききりで見ていてくれる人などどこにもいない。
親や周りがお膳立てをしすぎるし、手を出し過ぎて弱さを助長するのでは意味がないように思うのだが・・・

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