2017年8月13日日曜日

責め立てて良くなるものはまず無い

旦那が定年退職をした後の夫婦関係を、見たり聞いたりすることが多い。
多くの場合カミさんの方が強くて、旦那は小言を言われてもさして文句も言わず我慢して耐えているように見える。

あくまで男の側からの見方であるから、女性側からは異論があっても不思議はないが、男というのは、家族をもっと幸せにしてあげたいと思って懸命に働いてきたことに疑いはない。
しかし、自分が思うほどの結果が出せなかったとの思いは抱いているから、何を言われても、自分の実績を考えて「そういうこともあるか」と受け止めている節というのがある。
外ではひとかどの仕事をし、尊敬もされ、恐れられた存在であった人であっても、家庭内ではそんなことは斟酌されない。
仕事中心であったから趣味の世界での交際というのも少なかったであろうから、仕事を離れてしまえば、せいぜいが同期会くらいしか出かける先もない。
家庭内では邪魔者扱いされ、それに甘んじている。

文句ばっかりいっているカミさんが幸せかといえば、それを言った後の後味の悪さというものは必ずあるから、結局のところ腹いせにもならない。

賢いカミさんというのは、文句をいうのではなくて、同じことを言うのでも工夫して、穏やかな言い方をするし、頼み事のようにしてでも旦那に伝わりやすくしている。
旦那の方も気分よく対応できる。
当然のことながら、仲良く暮らしている。

夫婦関係に限ったことではないが、文句をいうより、如何にして望む結果を得られるような出し方ができるかということが、自分の幸せに結びついてくるように思えてならない。
ましてや国の為ということになれば、言うまでもないが喧嘩腰や揚げ足取りで済むわけがない。

国の為の政策論争をすることもできず、最初から違法性は無いと自らも認めていた「疑惑」やら「忖度」やらで国会を長期に渡って空転させ、追及に行き詰ると、言うに事欠いて「総理の人間性が問題だ」などと、人格攻撃に論点をすり替えるに及んでは、それこそ逆に追及していた側の人格を疑ってしまう。
法治国家というのは、総理の権限が有ればなんでもできるなどということが無いことは、最初から自明の理ではないか。政局にしようとするなら政策で戦うべきではなのである。

話しが発展しすぎてきたようだから、稿を改めることにします。

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