2017年8月17日木曜日

靖国参拝は責められることなのだろうか

今年の終戦記念日には、閣僚が一人も靖国神社への参拝をしなかったのだという。
個人の判断なのだか政治的な判断なのだか知らないが、参拝することにまで気を使わなくてはならないとしたら、不自由なことだと思う。

靖国神社に参拝することがどうして右傾化なのか、戦争賛美なのか、軍国主義化なのか、さっぱり解らない。
「行け」とも言わないし「行くな」とも言う立場を取るわけではないが、日本人の普通の感覚とすれば、人は死ねばみな仏。参拝して手を合わせ弔うことが戦争につながるなどということを微塵も考えてはいまい。
仮令どんな悪党であっても、葬られ祀られているのを参拝することに異を唱えることがない文化だと思っている。
思い返してみると、朝日新聞のK記者が靖国参拝反対記事を書くまで、中国も韓国も(韓国が反対する理由は全く理解できない)も、さして騒いではいなかった。
日本で大騒ぎする記事が書かれたことで、中韓も反応せざるをえなくなったのだと思っている。

終戦後には、紛れもなくWGIP(war guilty information program)というのがあって、何が何でも日本だけが悪かったとせざるを得ない事情があった。
そのお先棒を担いで日本叩きしたのが朝日新聞であった。
数年前までは戦争を煽った側の新聞だったと思う。
まあそんなこともこんなことも、いずれは歴史が明らかにしていくだろうから、今頃いきりたってみても始まらないことだと思ってはいる。

もう一つしっくりこないのが、右翼と左翼。
保守と革新というくらいの区分けだとか、自由主義と共産主義の差だとかなら解らなくはないが、右翼は戦争肯定で、左翼は平和主義だとか、マスコミの言うことに従わないのが右翼だとか言われると、それは全く合意できない。
共産主義国の方が戦争に近いことをしていると思える。

今の若い人は、愛国的であるか反日的であるかということも、分け方の基準にしているようにみえる。
反日に血道をあげるK国を、ネトウヨと呼ばれる人たちが嫌っていた時期は通り過ぎて、「好きなだけ反日をやっていれば・・・」と突き放すようになってきていることが、最早相手にもしないと考えるに至った恐い現象なのだと思うが・・・

いずれにしても、自分の都合を言い立てて、他者の意見や立場にただただ反対しているとそうなりかねない。

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