2018年3月15日木曜日

牛を見てないように思えてならない

角を矯めて牛を殺す
牛の角が曲がっているのをまっすぐに直そうとして、かえって牛を死なせてしまうことから、
小さな欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまう喩えとして使われる。

ここ何年にもわたって野党がやってきたことは、全ての法案に反対することと、問題の本質からは外してでも、政局にしようとするような審議拒否騒ぎを続けることであったようにしか思えない。
国をどのように導き、そのためにはどうするかということを主張して、国民の支持を得られるようなことを提案してこなかったし、仮に多少は尤もらしいことを言ったとしても、全体像が国民の信頼を得られなかったということではないのか。
今は森友学園の疑惑追及一色である。総理の責任を追及するには無理がありそうに思える。
確かに、文書書き換えは放置できない問題であることは事実であろうが、国会をいつまでも空転させていて良い筈がない。
それだけでは政局に結び付けられるようなエネルギーにはなるまい。

安倍氏の葬式を出したいと長期にわたってネガティブ報道を繰り返してきたA新聞と、安倍政治を許さないと言って騒ぐ人もいるが、そういう人がいても不思議ではない。しかしそれが国民の大多数の意見なのだろうかといえば、そうではあるまい。
安倍政権を倒して、その後に何をやりたいと思っているのか、またそれが納得できるような内容のものなのか?それはさっぱり見えてこない。
誰が米・中・露・韓国と国益を損なうことなく渡り合えるというのか?
混乱しか招かないであろうことを肌で感じているから、野党がいかに騒ごうともその支持率が上がらないのではないのか?
何にでもネチネチ反対する人や、喧嘩腰でものを言う人を好まないというのは確かである。

角を矯める前に、全体像がどうなっているのかを認識できないのでは、ますます信頼を失うばかりなのではないのかと思えてならない。

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