2018年3月26日月曜日

日本人が知らない日本の人道主義者

第二次世界大戦時にドイツによるユダヤ人の組織的大量虐殺(ホロコースト)が東欧のドイツ占領地で進む中、ドイツ人実業家オスカー・シンドラーが1100人以上ものポーランド系ユダヤ人を自身が経営する軍需工場に必要な生産力だという名目で絶滅収容所送りを阻止し、 その命を救ったという実話があり「シンドラーのリスト」という映画にもなったから、これを知っている人は多い。

杉原千畝氏を「東洋のシンドラー」として絶賛する番組は多くある。彼は手書きのビザを発給することで、多くのユダヤ人を救った。
しかしこの杉原千畝氏より多くのユダヤ人を助けた樋口季一郎氏の名を知る日本人は少ない。樋口氏はイスラエル建国の功労者の氏名が刻み込まれた、エルサレムにあるゴールデンブックにその氏名が刻み込まれているというのにである。
ゴールデンブックとは、モーゼ、メンデルスゾーン、アインシュタインなどの傑出した ユダヤの偉人達を顕彰するためのものだというが、それに混じって上から4番目に「偉大なる人道主義者、ゼネラル・樋口」と言う記述があり その次に樋口の部下であった安江仙江大佐の名が刻まれているのだという。
ユダヤ人しか登録されない筈のゴールデン・ブックに、実は6名の日本人が登録されています。安江仙弘陸軍大佐、樋口季一郎陸軍中将、小辻節三博士、内田康哉外務大臣、手島郁郎、古崎博。
なぜ、樋口季一郎氏をマスコミは取り上げないのだろうか。氏が軍人だったからなのだろうか?
それとも終戦後北海道を占領しようとして軍事侵攻しようとした旧ソ連を撃退したためか?
後にスターリンがGHQに樋口季一郎中将の引渡しを求めたとき、マッカーサーが鼻で笑って拒否したことが気に入らないのかだろうか?
彼の助命嘆願には、恩返しするのはこの時とばかりに、ユダヤ人が働いたという。

樋口季一郎中将の功績には、ユダヤ人2万人にも及ぶ満州での救助(数千人~3万人と諸説あり)活動があるが、
その他、1943年キスカ島からの日本軍人5000人の奇跡の撤退指揮。
前述の通り、昭和20年8月15日以後のソ連軍による北海道占領阻止。などが挙げられる。
安江大佐も満州猶太人機関の責任者であった。彼は満州で死亡しており、戦後あるユダヤ人が安江大佐宅を訪ね、墓を作るようにお金を置いていったという話も伝えられている。
ナチスに追われたユダヤ人たちが極寒のシベリアを死に物狂いで越えて、満州国境まで逃れてきたが、餓死や凍死寸前であるのに入国を拒まれていた。
樋口はこの惨状を見かねて、ユダヤ人に対し、直属の部下であった河村愛三少佐らとともに即日給食と衣類・燃料の配給、そして要救護者への加療を実施、更に膠着状態にあった出国斡旋、満州国内への入植斡旋、上海租界への移動の斡旋等を行った。

 多くの日本人のみならず、世界の人々も知らないことが沢山ある。
当時、関東軍ハルビン特務機関長だった樋口少将が、新京に司令部を置く関東軍参謀長に、
ユダヤ人難民の入国の許可を求めた。
当時の参謀長は、東條英機中将だった。日本が入国を許可しなければ、ソ連がユダヤ人たちをドイツに送り返すところだった
東條は「民族協和と八紘一宇の精神」に従って、2万人のユダヤ人の入国に許可を与えた
ドイツ外務省が日本政府に対して強硬な抗議を行ったが、東條は「当然な人道上の配慮」だとしてその抗議を一蹴した。
その東條は東京裁判で事後法である「人道に対する罪」とやらにより「A級戦犯」として、処刑されてしまった
以降、悪人としてのイメージだけが定着してしまっているが・・・


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