2018年3月30日金曜日

無意識で使っている言葉でも具現化する

呪文というものがある。そもそもが、呪文というのは意味が解って唱えるものではない。
言葉というものが全ての始まりであるという認識がないと理解できない。
言葉を発することで望むことを叶えようとするのである。
初めに言葉ありきというのはそういう意味であり、いうなれば神様ごとに入るには理屈ではなく言葉からであって、そこが解らないことには進まない。
幸せになりたかったら唱える呪文は「ウレシイタノシイアリガタイ」である。

人の現状は、苦しみであれ楽しさであれ、その人のありように釣り合っているから、その人の身に現れる。
現れたらそれによって気づけということであり、気づいたらどうするかということになるのだが、
不平不満グチを言葉に出して言うなどはもってのほかのことになる。
折角現れたことで消え去る機会を得られたというのにその苦しみを掴みなおし、それが業(ごう)となって自分の周りをまわることになり、更にはもっと深い苦しみとなっていく。
何故なら、その時に吐く言葉には毒があるからである。言葉は現実化する。
悪い想念で悪い言葉を口に出していると、それは全て自分のこととなって降りかかる。

そういう人達の特徴は、自分のことばかりを言っていて、人の言うことは聞かない。場合によれば身勝手である自分のことを解かってくれないと言って人を責め立てることすらする。

不平不満グチ文句ばかり言っている人が居たら、関わり合いを避けた方が良い。そういう人は友達でも何でもないから、離れることに躊躇う必要はない。
さもないと、自分のエネルギーを全て奪われることになる。縁なき衆生としての見極めということである。
そのときにも唱える呪文は「ウレシイタノシイアリガタイ」である。

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