2018年3月16日金曜日

いい人だからと紹介されたのは

 昭和30年代、決して物質的にはまだまだ豊かでなかったけれど、心の豊かさは確かにあった。
 頑張って世の為人のためになろうとする思いをそれぞれが持っていた。
 庇いあい助け合い、我がことのみでなくまわりを思いやることがたくまずしてでき、芯に優しさがあった。
 苛めはあったが、陰湿なものはなかったし、先生や大人に力があったし、尊敬できる人が多かった。
先生に力がなくなってしまったのは、どうしてなのだろう?
それと同時に、子供の権利ばかりが主張され過ぎていないだろうか。

戦後、否定したのか無視したのか目を逸らしてしまったのか知らぬが、永く培われてきた精神的文化が、歴史の中からいつの間にか損なわれてしまったように思える。
それも戦後の学校教育がなしたわざなのだろうか?

2週間ほどかけて、留学先から帰国することになった倅がお世話になったところを訪ねてザルツブルグとプラハを廻ったことがあった。
その時、行く先々の知人や、生活の必要上できた八百屋・肉屋・花屋・チョコレート屋さんなどなど、いかに日本人である息子が信頼関係を持って大事にされていたかがわかった。

 彼が言うのに、「あの人はいい人だから会うといいよ。」と現地友人から紹介された相手は、実に日本人的な発想をする人たちばかりだったという。
彼らが認めるいい人というのがそうだったのだと。
 そうして交流が広がった。基本的に、日本人は外国人に好かれている。なぜなら、礼儀正しく、考え方や行動がまともだからです。


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