2020年1月10日金曜日

日本の外交力では及ばないのか


イランといえば、昔ペルシャ帝国を築いた国である。今のイランがどうであろうと、その歴史を軽くみることはできない。
そのイランに大陸国家として近接している国には、今は落ちぶれたとはいえソビエト連邦を誇示したロシア、その昔には巨大な版図を構えた中国がある。
気がかりなのは、これら3国ともに米国との折り合いが悪いということである。
もしも同盟関係を結んだら、それに対抗できる勢力を構築するのは容易ではない。
地政学というのは、そういうリスクを考えることで成り立つのだと思う。

米国は大国ではあるが、どちらかと言えば海洋国家である。記憶違いかも知れないが、米国が大陸国家と戦って勝利を収めたことは無いように思う。
力により他国を雁字搦めにして追い詰めると、ろくなことにはならない。敵わぬまでも一矢報いんとして暴発しかねないからである。
大国とは、考え方が違うように感じる。
そういう意味で、むかし海洋国家と大陸国家の融合を考え、大東亜共栄圏を構築しようとした日本の先人たちの発想力は優れていた。
第一次大戦の当時に人種差別撤廃を唱えたのは、日本のみであった。その後も国の存亡を賭けて大義のために戦ったのであるが、その大義が何であったのかは覆い隠されてしまっているから、知ることができない。
しかし、世界の親日国はそれを感じ取っているから、日本が多少外交的にまずいことをしても、信頼が揺らぐことがないのだと思う。
力を誇示して何でも一番になろうとすることで軋轢を生むようなやり方をすると、反感を買ってしまって上手くいかない。中東が火元となって世界戦争などに結びついたら、今度こそ地球は終わる。
今こそ、過去の経験を役立たせ、日本がリーダーシップをとって世界平和を訴える時なのではなかろうか。救世主になりうるのは、八百万の神々に護られる日本以外にはない。

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