2020年1月13日月曜日

論点ずらしでは無罪を主張できまいに


ゴーンに関する報道を見ていると、O.Jシンプソン事件が彷彿される。
起訴事実に関しての裁判から論点をずらして争われた裁判だったように感じる。
OJ・シンプソン事件は、殺人事件で逮捕されて裁判になった、アメリカで起きた事件。
被疑者・被告人となったシンプソンが高名な人物であったことから、全米のみならず世界中の注目を集め、以降様々なジャンルで取り上げられることとなった重要な事件である。
刑事裁判では殺人を否定する無罪判決となり、民事裁判では殺人を認定する判決が下った。
シンプソンは全面無罪を主張し、全米で有名な弁護士・検察官が出揃い、「世紀の裁判」と呼ばれた。しかし、弁護団のほうが質量ともに検察を凌いでいることは誰の目から見ても明らかであった。なぜなら、弁護団は「ドリームチーム」と呼ばれるほど、経験豊富で有名な弁護士ばかりだったからである。
シンプソンの弁護費用は当時の日本円にして5億円といわれている。
被害者が白人で、加害容疑者が黒人だったため、この裁判では人種問題が大きく取り上げられた。「人種偏見によって裁判が行われてはならない」として、判事は黒人でも白人でもない日系アメリカ人のランス・イトウが選出された。なお人種問題は検察の休憩にも影響した。死刑を求刑すれば「黒人だからだろう」と黒人住民に非難され、有期懲役を求刑すれば「スーパースターだからか」と白人から非難されたからである。そのこともあって結果的に検察側は仮釈放無しの終身刑を求刑した。
弁護団は陪審員を黒人が多い地区から選出することを要求し、採用された。また白人が選出されても検察・弁護側に認められている専断的拒否権(理由を述べることなしに、選出された陪審員を除外することが一定回数以下は可能な権利)を弁護団が最大限に行使した結果、陪審員12人のうち9人を黒人にすることに成功した。この様に、弁護団は「殺人事件」ではなく、「人種問題」という観点を裁判に持ち込んだ。

ゴーンが目論んでいることは、論点ずらしであろう。クリスマスに妻と面会できなかったなどと言って同情を買おうとしていることからも明白である。
日本は、起訴事実についてだけ裁判で争うということだけを世界に向かって断固主張すればよい。外国の法に従って裁判するなど、独立国としてはありえないのである。
ゴーンの主張していることが、彼の違法性を阻却できるようなものではないことは、法治国家であればりかいできる。それをしないということであれば、全力を挙げて報復するしかない。
犯罪人引き渡し条約を締結している相手国ではないから、彼が日本に送還されることはまず無かろう。何と言ったって、テロリスト岡本 公三だって引き渡しをしなかった国である。
これは戦争と等しい状態なのだという認識を持たねばならない。
ここで譲る訳にはいかない。国論を纏めて対抗すべきときである。

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