2020年1月29日水曜日

古事記は口伝から編まれたと習ったが


「漢委奴国王」というのが日本に現存しているのは、ご存知の通りである。
「印」というのは文書に押すものであるから、日本でも文字が使われていたことを傍証する。

中国の皇帝が使う印鑑は象牙製であり、近隣諸国へは格付けに従って、同格と見做す国へは金印を、以下中国が評価する順位価値観により銀印、銅印を贈った。
因みに、朝鮮は銅印のランクであった。

旧唐書(くとうじょ)に倭国伝という項目がある。日本伝倭国倭国は、いにしえの倭奴国のことである。日本の歴史家は旧唐書を偽書扱いしているようだが、何を根拠にそうしているのだろうか?我々は歴史の時間に旧唐書を習うことは殆どない。
古代文字あるいは神代文字と呼ばれるもので書かれたものも偽書扱いされて、日本には漢字が伝来するまで文字がなかったということにしたいらしいが、果たしてそうなのだろうか?
ヒエログリフやカタカムナ文字は現にあるのではないのか。

中国の歴史の順番をあげれば、 漢・魏・唐となるが、魏志倭人伝が研究されているのと較べ、旧唐書とどこにどう差をつけようとしているのか?
それでなくとも、日本には失われた150年と呼ばれる空白がある。
漢の時代には既に中国経由で仏教は伝来していたようであるが、歴史家はどうしてもその伝来は朝鮮半島経由ということにしたいらしい。
しかし、どう言い逃れようと、日本は中国から直接文化を学んでいたのだという事実を軽く見ることはできまいに・・・

邪馬台国(やまたいこく)という呼び名も変である。卑弥呼の後を継いだ台与(とよ)が居たことでも明らかなように、「台」は「と」とよむのが普通であろう。
ヤマトというのが他にもあったらしいから、都合が悪かったのだろうか?
旧唐書(くとうじょ)には、ヤマトというのが二つあったことを類推させる記述があるらしい。
邪馬台国の所在が何処であったかが未だに争われているが、旧唐書によれば九州と近畿にそれぞれあったということになりそうである。
いずれにしろ、日本に古来から有った文字(ヒエログリフは現存している)も、偽書扱いされているというから、歴史の真実に触れることは難しい。

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