2020年1月21日火曜日

ヘルだと嘆く前に


韓国の若者は自国のことをヘル朝鮮と呼んで、可能であれば国外に脱出したいと望む者が多いのだという。努力が報われないというのは哀しいものである。
福沢諭吉が李氏朝鮮末期の朝鮮を「妖魔 悪鬼の地獄国也」と評したように、当時の朝鮮を率いていたのは朝鮮王妃の閔妃(びんひ)で、その狂気の振る舞いが国の将来を誤たせたと思われるが、彼の国は現代に至り考え方のどこが変わったといえるのか。未だにヘルなのか?

福沢諭吉翁は、日本人の高い公徳心が西洋風に言えば伝統的な「リベラルの範疇」であると考えるなら、明治の真正なリベラリストであったが、戦後の左傾リベラリストからは、「右翼」と侮辱されている。
彼は学問の人であり、最初はシナ、朝鮮に憧憬と同情心があったのだと思われる。
だが、実際のシナ、コリアンの悪癖の根源を感じて、日本人に警告するようになり「脱亜論」を唱えるようになった。

大戦後に韓国は棚ぼた式に独立を果たしたが、李承晩がいうように李氏朝鮮が理想的な国であったというのなら、或いは日韓併合が違法だったというのなら、大韓民国ではなく李王朝に戻るのが筋であった。そうすれば、彼が樹立した政権の正統性を胡麻化すために反日教育を徹底する必要もなかった。
李承晩が自国民に対して行った残虐行為をも日本に擦り付けることもなかったろうから、もうちょっとましな関係を築けていたのではなかろうか。
そうすれば、自我欲に捉われた国造りはなく、地獄とは程遠い幸せな国となった筈である。恨みから幸せは生まれない。

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