2020年1月15日水曜日

民主化を求めても難しそう


天安門事件は中国内では封殺されていて、中国内ではネット検索もできなくなっているという。
198964日に天安門事件が起きてから、江沢民は常に恐怖と戦っているらしい。
人々がこの事件の真相を語り、虐殺の責任を追及するのではないか、趙紫陽の名誉が回復されるのではないかと恐れているからなのだという。権力闘争の国であるならそうであろう。
民主化を求め天安門広場に集まっていた学生たちのもとに趙紫陽が駆けつけ、彼らに語りかけている様子を撮影した写真があるが、江が最も苦々しく感じているのは、この十数年、64日になるたびにこの写真が海外メディアに掲載されることだという。
その写真は、当時の最高権力者の趙紫陽には学生たちを虐殺するつもりなどなかったことを示しているうえ、六四事件を踏み台に最高権力者の座に就いた自身の不名誉な過去を暗に示しているように感じるのだろう。
江沢民は、天安門事件の前に趙紫陽から批判されたことを忘れてはいない。だからこそ江沢民は、趙紫陽を軟禁し行動を厳しく制限していた。その執拗さは監視を担当する保安部門の人間でさえそこまでする必要があるのかと理解に苦しむほどであったとされている。
共産党による一党独裁の政権にとって、民主化運動は極めて不都合なことであった。
なぜなら、政権の正統性を主張する根拠が極めて乏しいからである。
天安門事件の後に採った民主化運動を避けるための政策は、押し付けの愛国運動であった。
中国共産党軍は日本軍と戦って勝利を収めたわけではない。戦えばいつも敗けて逃げ回っていただけであり、戦って勝利を得たことなぞ一度もなかったが、愛国運動のためには日本と戦って勝ったことにしなければならない。
言っておくが、日本は米国に敗れたのであって、中国に敗れたわけではない。愛国運動をするにもどうするのかに困ったと思う。
しかしこのままでは国民に政権の正統性を主張できない。
江沢民は、何を言っても反論しない日本を悪者に仕立てあげ、歴史を歪曲してまで反日教育を徹底するしかなかった。
外に敵を作ることで目先を逸らす常套手段を安易に使ってしまったということになる。

彼の出現以来、芽生えていた日中友好の機運は急速に下火になり、以後は反日で推移することになった。
天安門事件の処理に躓いたことにより採った政策は、そのまま今のチベット・ウイグル問題にも弾圧という形で引き続いているのだと思える。
外国から批判されても内政問題だと言って突っぱねる。香港を見ているだけでもよく判るが、民主化などは夢のまた夢であろう。
しかし、嘘を根拠にしたものはいずれバレる。辻褄が合わないことが出てくるからである。
いずれにしても、真実に立脚しないものが発展しないことは真理である。

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