2020年3月13日金曜日

美が育てる道徳心


外国人が日本にきて感じることの一つに、道徳心を上げるという。日本人には、教えられてもいないだろう幼児のうちから暗黙のルールが徹底していると感じるというのである。
幼児期から自然に卑怯未練な振る舞いを恥とし、潔いことをもって自らを律して育つのは、もはやDNAに組み込まれてしまっているとしか思えない。

訪日外国人の多くが、日本人は無宗教だと思っているのだというが、それにしてはその道徳心はどこから身に着けているのか?と不思議がるらしい。美意識から来ている側面を理解できなければ気づけまい。
彼らは彼らの信ずる神の力をもってしても、道徳心の定着が難しい社会に住んでいると思っているのだと本音を漏らす。
地獄の閻魔庁にあって、死者の生前の善悪の所業を映し出すという閻魔大王の【浄玻璃の鏡(じょうはりのかがみ】の前では、何事も隠しおおすことはできないという仏教上の教えが導いたことがあったかも知れないが、そもそもの日本人は、自らの裡に自分が向き合わねばならない偉大な存在があることを、知らず知らずの間に意識するようになっていたのだと思う。
誰一人として栄耀栄華を望まないとは言わないから、不善をなすことはあるに違いないが、それよりも優先させて、悪人と雖も美を求めた。大自然の美の中に生を受けて育てばそうなる。
誰もが教わることもないのに神を実感し、そこに通じることで得られた共通認識が太古の昔からあったのではなかろうか。
自然の中から学んだものであるから、美と一体なものとして「もののあわれ」ということを感じ取っていた。それを共通認識としたものが美であったのではなかろうか。

最近は多様性とか表現の自由とかやらで、醜いものや騒音を好む人も多くなったようではあるが、それが人として求めるものではないようにどうしても思えてしまう。
日本に伝わって来た美の文化には、例えば日本刀や陶磁器や工芸品などが挙げられるが、そこには深い精神性を内在しているから、それに向き合ったときに言い知れぬ感動を覚える。
そのことに日本人以上の感性を持っている外国人も居て、逆に勉強させられる。

0 件のコメント:

コメントを投稿