2020年3月18日水曜日

民族性が尊敬される


普通に世界情勢を見ていると、米国が日本に対する信頼度は、同じように同盟関係であるナトーに比べても圧倒的であるように思える。

日本のご先祖様たちは、日本のことのみ考えたのではなく、アジア全体に責任を持とうとしていたのだということを、米国は芯のところで理解しているからではなかろうか。
日本の軍人たちが、たとえ玉砕したとしても、最後まで義を貫こうとしていたことを身に浸みて理解しているから、日本民族に対する尊敬につながっているのである。
志が叶わず潰えてしまったが、大東亜共栄圏を作り上げる寸前までいった壮大な理念は脅威として認識しただろうから、戦後は徹底してそれをつぶそうとした。
それのお先棒を担いだ識者と言われる左翼活動家が、その後も後を引いた。

しかし、人間として何が信ずるに足りることなのかは、おのずとしれてくるから、時を経るにしたがって、米国は日本と友好関係を築こうとしてきたのだと思う。
共産主義は、その理想として掲げたものとは全く逆行して貧富の格差を広げるだけであったし、一般人の労働意欲を著しく削ぐだけに終わり、それを採用した国は政治的には権力闘争に終始せざるをえないことを露呈してしまった。

目先の恨み言にしか目が向かないK国は言うに及ばず、強大さを誇ったG国といえど、指導者が自殺して終わりにしてしまったのに比べ、日本は潔かったことを認めざるを得ないということなのだと思う。信ずるに足る国はどこかということになる。
C国やR国にとっては依然としてそれが脅威であろうから、何かにつけてマスコミなどを使って日本を弱体化させようと宣伝戦を続けているのだろうけれど、それにも拘わらず、歴史的に培われた日本人の信念を突き崩すことはできない。
戦後死んだふり状態になってしまっているが、誇りまで失ってしまったわけではない。

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