2020年4月17日金曜日

この先どうする?


韓国での総選挙の結果を見ると、残念ながら日韓友好への道はますます遠のいたのではないかと感じる。
他国民の選択結果に異を唱えてみたところで仕方ない。
日本との独立戦争を連合国とともにしたのだという捏造洗脳教育が徹底し過ぎて、それで定着してしまった彼らの意識構造や歴史認識が、今更改められることはあるまい。
日本の統治時代が全て良かったなどと言うつもりはないが、彼らが美化している李王朝時代の圧政と比べたら、圧倒的に優れていたのではないのかと思えてならない。
李王朝は言ったら悪いが腐敗し過ぎていて、国の存続すら危うかった。政争に明け暮れて、国民のことなぞ考えることはなかったから、近代化が自国でできるような国体ではなかった。
歴史に「もし」ということはないにしても、日本がなかったら、共産主義国の一行政領となっていて、自由など望むべくもない状態が続いていただろうということは容易に想像できる。

明治四十三年(一九一〇年)日本と韓国は合邦した。
これを日本による韓国の「植民地化」ととらえる考え方があり、むしろ、それが一般的な風潮となっている。もちろん、韓国や北朝鮮は政治的な利害からそう主張している。しかし、それは日本と朝鮮半島という、地域的にも思想的にも論理的にもにも、限定的な狭い見かたにとどまったままである。アジアに対する欧米の帝国主義、植民地主義が当然とされていた時代の、世界史的な視野で見るべきだと思いますと
渡部昇一教授が行っているが、公平冷静に見れば、その通りではないのか?

たとえば、英語の文献では、日韓合邦のことを「アネクセイション」(annexation)と表現しています。これは「植民地化」を意味する「コロナイゼーション」(colonization)とはイメージがまったく違う。歴史を公平に客観的に見るには、言葉が当時どのように使われていたかを知ることも重要です。現代の常識で過去を断罪すべきではないと頭ではわかっていても、ついついいまの物差しで歴史を計ってしまいがちです。
おしなべて一括りにしてしまうから、ものごとの判断や解決が模糊としたものなる。

植民地支配の特徴といえば、差別・分離政策である。
帝国主義の時代、植民地では本国とは異なった法律が施行、あるいは便宜の規定のみが施行され、先住民には国籍や市民権が与えられなかったり、国籍を与えても「属領籍」「外地籍」「海外籍」のように本国人とは異なる法的身分に編入され権利義務について不平等な取扱がなされた
イギリスによるインド支配を見ればよく解かる。
台湾や朝鮮を植民地にしたと頑なに信じている人は未だに多いと思うが、日本は植民地ではなく併合を行ってる。
台湾や朝鮮のように日本に併合された地域に住む人は、日本人と同じ権利を有し暮らしていた。
差別はあったかも知れないが、それは日本国内における日本人に対してでも同様であった。
どこの宗主国が、支配した地域の住民に教育を与えることで能力の向上を図る政策をとったことがあるのか?
それらの国は現地民を兵として徴用することは有ったけれど、士官として採用することはなかったが、日本は軍人となった彼らを、能力があれば将軍として遇するくらい重要視したのである。これは公務員として採用した者に対しても同様であった。

西欧列強国が武力で他国を制圧し、そこからの富を簒奪した所謂植民地での悪行と、混同するから、広義での「植民地」という表現はつかうべきではない。

政治的求心力を得るために事実を曲げざるを得なかった事情は解らなくもないが、程度問題である。それよりも前に国際条約を守れる意識を育てないと、世界中から相手にされまい。

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