2020年4月29日水曜日

出羽守の意見では動かない


何かにつけて外国と引き比べ、日本が劣っているような論調に持っていきたい人というのがいる。
本当にそうなのだろうか?
一部の事象だけを取り上げ、全体からの調和を考えてのことではなく、ともすれば権威主義に走っているように思えなくもないことが多い。
彼らは「〇〇デハ」という巻頭語をつけるから、「出羽守」と揶揄されることがある。

文明の遅れた土人国だと見縊って、意気揚々と日本にやってきたザビエル達の宣教師は、結局は布教を諦めざるをえなかった。
布教の対象としてまず狙ったのは、暮らしに苦しむ貧しい民たちであった。
しかし、「デウスさまを拝まないと地獄に落ちるだか?おらの爺様や婆様も地獄にいるだか?ならおらも地獄に行く。自分だけ助かるだなんて、そったら不孝なことはできねぇ」
自分だけ良くなれれば他人はどうでもよいということを潔しとしない倫理観を、宣教師たちは突き崩すことができなかった。
自分たちの価値観を押し付けようとしても、それより勝っているものによって自分で判断できる者たちには敵う筈がない。

それでも近頃は、自分さえ得できれば良いと考える人が増えたようである。しかし、大方は他人の意見を鵜呑みにしてる者が多い。だから、それ以外の自分でものごとを判断できる理知的日本人の本質は、如何に言葉巧みに誘導しようとしても、そう簡単には変わらない。
他国からの批判に弱いところがあるところを突いてミスリードしようとする動きはあるが、中庸を好む日本人は、偏向的意見で大勢は動かない。

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