2020年4月21日火曜日

自分で判断するクセをつける


今となると、日米安全保障条約が不要であると思っている人は少ないのではなかろうか。
現在の世界各国で、自国のみで国を守ることができると考える国は殆どない。
一部左翼が唱えるように、軍事力は不要だとするのは非現実的であろう。

1960年5月20日、日米安保条約改定の批准に反対する社会党・共産党を、岸信介自民党内閣は強行採決で押し切った。強行採決に対する反対運動は議会外でも盛り上がり、激しいデモが繰り返され、6月15日には全学連の女子学生(東大生の樺美智子さん)が死亡、多数の負傷者がでた。その後、条約は6月19日に自然成立したが、反対運動によってアイゼンハウアーの訪日は取り止めとなり、岸内閣は条約成立を待って辞任した。
過激な反対デモに参加した人たちの殆どが、後に述懐しているのを聞くと、日米安保の法文など全く読んでもいなくて、内容など理解した上での反対ではなく、わけもわからず一部の過激思想社のミスリードに踊らされて大騒ぎした人が多かった。
ジャーナリストである田〇氏でさえ、その当時内容を知らなかったとそう言っている。

この「60年安保」と言われた大衆政治運動は、社会党・共産党と云った既存の革新政党だけではなく、労働組合・学生・市民が闘争に参加して、連日国会議事堂をデモ隊が取り囲むなど、かつてない規模に拡大した。デモには高校生や家庭の主婦など、幅広い人々が参加したことが特徴であった。しかし、結果的に安保条約の成立を阻止することができなかったことから失望感も強く、政治運動の市民参加、大衆運動化は岐路に立つこととなり、一部の学生運動の先鋭化に対して多くの若者の政治離れも始まった。また革新政党と労働組合の関係も複雑に分裂し、停滞が始まったとも云える。一方で、安保条約の改訂には成功したものの、自民党の掲げた憲法改正はとても無理という判断もせざるを得ず、その課題は長く棚上げされることとなった。
こうして「政治の季節」は過ぎ、岸内閣総辞職後に代わって登場した池田勇人内閣の「所得倍増」のかけ声の下、60年代の日本は日米軍事同盟の枠の中で高度経済成長路線に転換していくこととなった。

10年後に改定されることになったが、60年安保のときと打って変わって、殆ど反対運動は起こらなかった。
有用性に反対を唱えることができなくなっているとの判断が働いたことになる。
ムードに流されてわけもわからずデモに参加したエネルギーは無駄だったとは思わないが、煽りに乗って行動することは考えものである。

例えは違うかも知れないが、スタップ細胞のときの騒動も大きかった。
科学者が専門的知識のもとに評価したのではなく、マスコミが先導して詐欺呼ばわりし、この研究を潰してしまった。マスコミとは言え素人集団である。本当によってたかって責め立てねばならない研究だったのだろうか?実験は途中まで成功していたとも伝わる。
だとしたら、わけのわからない素人集団があたら才能を葬り去ってしまったのではないのか?
スタップ細胞が有るか無いかを論じたいのではない。
解らないことは解らないとして報道しないと、後からでは取り返しのつかない結果を招く。
その当時に大騒ぎをしたのは報道を見た素人が大騒ぎをしたのであり、学者たちの説明もどこか釈然としない説明であったように記憶している。有能な学者が自殺に追い込まれたのも、その結果であった。

地球温暖化問題、スパイ防止法なども、一般国民が理解してものを言っているとは思えない。
朝から晩まで政府の悪口を言っている人たちが、どうあるべきかを正しく判断できているとも思えない。

日本は男尊女卑の国だと言う人がいるが、本当にそうなのだろうか?誰かの意見に流されていないか?
日本は平安時代の昔から女性でも文字を読み書きでき、立派な文学作品も残した。
こんな国が世界のどこにあるのか?
日本の男にとって、それが如何なる偉業を成し遂げた男児であっても、唯一頭があげられないのが母親であることに疑いを持つ者はいないであろう。それを隠そうとする者もまた居ない。
表面上がどうであれ、女性が心底尊敬の対象であることに疑いはない。
誇りをもって専業主婦であることを貫いている女性を貶めるようなことを言うのは、女性の側に多いのではないのか?
世界には政治の世界や実業の世界で活躍している人の多い国もあるが、国情の違う国と比較してどうなるというのだろう。どちらの国が文化的に優れているなどということについては、日本をその範疇に入れて論ずるものとは違うと思う。
機会均等のために、女性にも一定の割合を法で定めるべきだというようなことを唱える人がいるけれど、それは本末転倒であろう。男だって熾烈な競争の中で鎬を削っている。割合を決めてやることとは違う。
志の高い人は男女を問わず、必ずリーダーとして認められる。

「女ほど 世にも尊きものはなし 釈迦も孔子も ひょこひょこと産む」
日の本は岩戸神楽の始より女ならでは夜の明けぬ国
と昔から言われてきたように、決して女性を軽んじて来た国ではない。

大義を重んじてきた国であることも思い返す必要がある。
3.11のときもそうであったが、台湾は事あるごとに日本への援助を考えてくれる。
今回のマスク提供も有難いことであった。日本政府が即座に国名を挙げて謝意を表明したことはよかった。援助を受けながら、ヨーロッパのD国や、東洋のS国などは国名すら口にしなかった。
22歳までは日本人であったと公言してくれる李登輝総統以来、いまの蔡英文総統も日本に友好的に接してくれている。恩義には恩義をもって報いるのが日本人である。

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