2020年4月6日月曜日

フェイクが生まれ出る隙間があるから


一昔前に不幸の手紙というのが流行ったことがある。
ある日突然に見も知らぬ人から送られてくるのだが、それを新たに何通か別の人に送らないと不幸になるというのである。その内容は人の気持ちを暗くするものであった。
メールが普及してくると、それは同じようなことでチェーンメールというものに変わった。
自分がきちんと判断して自分のところで止めないと、際限もなく広がるという不快なものであった。何が目的であったのかは解らないが、気持ちの悪いものであった。
最近はSNSを使い、ある目的をもってフェイクニュースを流すというのがなされているらしい。
瞬く間に拡散してしまうことで、世論や選挙にまで影響を及ぼすというから、個々人の判断力や見識が問われる。
他人の言うことに流されていると、取り返しのつかない事態を招きかねないのだが、その発信元を確定して削除することが難しいのだという。他人に被害を与えても、罰則さえない。

いつも不思議に思うのだが、新聞やTVは取材のために現地に記者を常駐させていたり、特派員として派遣していたりする。
取材した事実を全て報道するわけにはいかない事情があることが解らないわけではないが、表向きの現地発表に、迎合とまでは言わないが配慮し過ぎた報道で終わりにしているのではないのかと思えることがある。
東シナ海で中国の漁船?が日本の護衛艦に体当たりして穴をあけたというニュースは、小さくしか扱っていない。
中韓については不都合なことでも敢えて擁護し、良い印象に誘導しようとする意志が働いているのではないのかと感じてしまうことすらある。
例えば、中国の労働時間などが労働法上日本より優れているというような報道。
法としては決められているが、誰もそれを守っていないという現実を伝えることはない。
コロナウイルスの感染者やそれによる死者が、中国が発表している通りだなどとは、日本に居てさえ違うのではないかと想像できるのに、現地に居る記者が実情を伝えることはないように感じる。本当に終息したと言えるのか。本当だとしたら、世界中で感染者が増えているわけの説明がつかない。
報道しない自由とでもいうのであろうか。
ニュースというのは、事実を事実の通りに伝えるものなのではないのか?
穿った見方をすれば、在住していた記者は、昨年中に感染病を疑わせる状況を掴んでいたのではないのか。

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