2020年7月23日木曜日

美徳がだんだん壊れていく


コロナウイルスは収束しそうもない。命は大事だが、経済も回さないことには生活が成り立たなくなる恐れも強い。国の支援に頼るだけでは自ずと限度がある。
Go to キャンペーンというのがある。
しかし、実施することに取り組もうとすると、出てくるのは批判の声ばかりである。
あらかじめ想定できないことが問題点としてあがるが、千人千様に対応できるような方策などある筈もないのだから、責め立てるのではなく、不備をどのようにするかを穏やかに提案するのでないと、世の中がギスギスするばかりである。
それは、「おもてなし」の美徳さえも変質させてしまう。

日本語の「おもてなしというのは、英語ではhospitalityと訳される。
ホスピタリティとは接客・接遇の場面だけで発揮されるものではなく、人と人、人とモノ、人と社会、人と自然などの関わりにおいて具現化されるものであると説明されるが、日本の「おもてなし」というのは、サービスの延長線上にある行動ではなく、相手に対し可能な限りの誠意を尽くそうとする気持ちがこもっている所作である。相手がそれを解ってくれるかどうかなど期待していない。
ホスピタリティの狭義の定義では、人が人に対して行なういわゆる「もてなし」の行動や考え方について触れていて、これは接客・接遇の場面でも使われるホスピタリティのことである。 主人と客人の間でホスピタリティが行き交うが、それは一方通行のものではなく、主人が客人のために行なう行動に対して、それを受ける客人も感謝の気持ちを持ち、客人が喜びを感じていることが主人に伝わることで、共に喜びを共有するという関係が成立することが必要だ。すなわち、ホスピタリティは両者の間に「相互満足」があってこそ成立する。
つまり、主客の両方がお互いに満足し、それによって信頼関係を強め、共に価値を高めていく「共創」がホスピタリティにおける重要なキーワードなのである。
広義の定義では、ホスピタリティが主人と客人の二者間の話にとどまらないことを言っている。社会全体に対して、その構成員である人々が、ホスピタリティの精神を発揮することで、相互に満足感を得たり、助け合ったり、共に何かを創りあげることができ、それによって社会が豊かになっていくという大きな意味でもホスピタリティは重要である。
似てはいるが根源にある概念が違う。相手を大事に思う気持ちが自然に起こることであって、義務感や礼儀から生れ出たものとは違うから、説明はしきれまい。

そのほか外国人が理解できないものの例として、道場や競技場や何かの会場に入るとき、日本人は必ずといっていいほど一礼する。
外国人は「何に対して頭を下げるのか?」と不思議がるらしい。彼らが頭を下げるのは、彼らが信じる一つだけの神である。
日本人は、そこに神が居ると感じるか、あるいはその場に神の降臨を願ってのことであることを、無意識のうちにやるのである。精神性が高いのだと言うほかない。

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