2020年7月26日日曜日

口を拭って擦り寄ってきても


日本人は韓国人と違って、ロシアに対する恨み言を言わないから済んでいるが、戦後にシベリアに抑留された多数の日本人捕虜の歴史を風化させてはならない。それは戦闘によらない死者を多数出したのである。
現在のロシアは、経済的苦境から脱却しようとして日本に擦り寄ってくるが、不可侵条約を一方的に破棄して日本に襲い掛かった国であることは、間違いようもない事実なのである。
とてものこと、心底から信じて付き合えるような国だとは思えない。
文明大国などと呼ぶには、人道的には程遠い。日露戦争後の日本が、ロシア兵の捕虜を武士道を重んじて遇したのと比べてみたら、ロシアは恥ずべきである。

以下は、ウィキペディアからの引用である。
シベリア抑留は、第二次世界大戦の終戦後、武装解除して投稿した日本軍捕虜らが、ソ連によって主にシベリアなどへ労働力として強制的に移送隔離され、長期にわたる抑留生活と奴隷的強制労働により多数の人的被害を生じたことに対する、日本側の呼称である。
ソ連によって戦後に抑留された日本人は約575千人に上る。
厳寒の環境下で満足な食事や休養も与えられず、苛烈な労働を強要させられたことにより、約58千人が死亡した。このうち氏名など個人が特定された数は201912月時点で41362人。
このソ連の行為は、武装解除した日本兵の家庭への復帰を保証したポツダム宣言に反するものであった。悪逆非道な行為であったというほかない。
ロシアのエリツィン大統領は199310月に訪日した際、「非人間的な行為」として謝罪の意を表したが、ロシア側は、移送した日本軍将兵は戦闘継続中に合法的に拘束した「捕虜」であり、戦争終結後に不当に留め置いた「抑留者」には該当しないとしている。
言い訳なら、もっとましなことを考えて言ってみたらどうだったのか?デタラメな理屈にも程がある。

スターリンの捕虜観をあらわすエピソードとして、ポツダム会談でウィンストン・チャーチルが炭鉱労働者不足を嘆いた際に「ドイツの捕虜を使えばいい。わが国ではそうしている」と答え、4万人のドイツ人捕虜を本国に移送することをすすめた。ヤルタ会談では、かつてドイツが賠償支払いのための外貨を市場で調達したため、世界的な貿易不均衡を生み出した問題(トランスファー問題)を回避するため、賠償は外貨や正貨支払いではなく、役務や現物による支払いで行われることが合意された。この役務賠償の考え方は、捕虜の強制労働を正当化する理由ともなった。ソ連は1929のジュネーブ条約に加わっていなかったため、1931年以降独自規定として戦時捕虜の人道的な扱いを定めていたが、実際にはほとんど守られなかった。
ポーランド侵攻以降獲得した各国人捕虜は3899397人におよび、194911日の段階で569115人が死亡し、542576人が未帰還のまま抑留されている。これらの捕虜の多くは内務人民委員部等の各省庁に貸し出され、その監督下で使役された。特にドイツ人の死亡率は高く、スターリングラード攻防戦での捕虜6万人のうち、帰還できたのはわずか5千人であった。

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