2020年7月27日月曜日

大東亜共同宣言というのが昔あった


8月になると、毎年日本の戦争に関するドキュメント番組というのが放映される。
反戦が主題になるのはやむを得ないが、大抵は日本が悪かったとする責任追及の仕立てとなっているけれど、そろそろ公平に考察してみてもよいのではなかろうか。それが歴史改竄に結び付くとは思えない。
太平洋戦争と表現されるが、そもそも日本としては、昔通りに「大東亜戦争」と呼ぶべき高尚な理念に基づく戦争であった。
自らが矢面に立つことになったとしても、守らねばならないものがあるとしたことには疑いを差し挟めない。
やみくもに戦争をしたのではなく、するにはするで大義というのはあった。
日本は、1943年(昭和18 年)116日に大東亜会議において採択された大東亜共同宣言の概念に従って堂々と戦ったのである。
植民地支配をしていた白人諸国は、カイロ宣言以来の自己中心的概念から抜け出せず、「大東亜」がもたらす理想に対抗できないから、戦後徹底的にこの文言を消すことに躍起になった。
敗戦により、日本は大東亜宣言を歴史で教えるどころか、自虐史観を押し付けるしかなかったのであるが、日本側にも反日的思想に毒された組織があってこれに同調したから、その影響は今も続く。
日本のマスコミは口を開けば日本はアジア諸国から嫌われていると言うが、アジアとはどこのことを指して言っているのだろうか?反日的なのは中国と韓国だけなのではないのか?
この2国は政権の正統性に問題があることで、建国以来捏造してでも反日を唱えつづけるしかない事情があるのだということも知らないことには、歴史は語れない。
上記2国と北朝鮮を特亜3国と呼び、その他のアジア諸国の殆どは、親日的である。
多くの日本人はおとなしくしてきたが、何時まで経っても中国や韓国があまりにも反日行動や反日発言を繰り返すから、本当のところはどうなのかと調べてみる人が増え、その結果、今まで我々が教え込まれてきたことと全く違っていたことが沢山あることをを知るに至った。自虐史観なぞ一発で吹っ飛び、誇りが沸々と湧き上がってくる。
「大東亜共同宣言」は、原文のままをネットで簡単に検索できる。掲げた志は高い。
同様に、戦後のアジア諸国の首脳が何を言っていたのかも、調べれば簡単に見つかる。これらを知っているか知らないかによって、もののとらえ方が違ってくる。
1.バー・モウ元首相(自伝『ビルマの夜明け』)
「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。真実のビルマの独立宣言は1948年の14日ではなく、194381日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった。」
2.1975年にタイの首相をやったククリット・プラモートという人がいる。彼は現地の新聞「サイアム・ラット紙」の主幹をしていた19556月、国賓待遇で現地を訪れた元駐タイ日本軍司令官・中村明人元陸軍中将に対して、次のように述べたという。
「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのはいったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったがためである。128日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大な決意をされた日である。さらに815日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々はこの二つの日を忘れてはならない」 

この国以外の指導者たちも、語っていることは同様である。
因みに1955年に催された「バンドン会議」は、インドネシアのスカルノやインドのネルー、エジプトのナセルらが呼びかけて、アジア・アフリカの29ヵ国が集まって開いたものであるが、大東亜戦争後に独立した国が殆どだった。このため、会議は独立の尊さをアピールする会合となり、大東亜戦争が称賛された会議でもあった。

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