2017年7月11日火曜日

参考人との質疑を見ていて

多様性を認めるということは必要であろうし、それに反対はしない。
しかし「多様性を認めろ」と主張している人たち自身が多様性を認めているのかどうかということになると、甚だ疑問を感じる。
彼らは、自分たちの主張と違う意見の人を全く受け入れようとしないように見えるし、それを認めないで通そうとしているように見える。

如何なる物事にも、それぞれ違った意見を持つのは当然であるが、だからといって、多様性を重視したとしても万人が納得するようなものは、現実的にはないのだと思われる。
万人が賛成するまで待っていたら、どんな問題も解決することはあるまい。
どこかで、大多数が可とするものに決めなければならない。

多様性を主張する人たちがその時に必ず口にするのが「民主的ではない」という言葉である。
即ち、彼らの主張する通りの結果が得られなければ、民主的ではないということと同義語ということになるが、それを無視しての論理矛盾をどう説明するのだろう?
説明もできずにそれが民主主義だということなのだとすれば、世の中かなりおかしなことになる。
しかし、彼らの声は大きいし、マスコミもそればかり取り上げることが多いから、自分の頭で考えないで、偏向報道を受け売り或いは刷り込まれた状態の意見を持ってしまう人も、現実的には沢山でてきてしまう。

政治は、選挙によって選ばれた人たちによってなされる。
いかなる選挙結果であったとしても、それは選挙民の責任ということになるから、その後の政策によって不利益を被ったとしても、選挙民はその意味で自らの責任をとる。
前の民主党政権の時がそうであった。
マスコミに踊らされた側面が大きかったと思うが、外交も経済も酷い目に遭ったと思っている人が多い。マスコミが責任をとることはない。
今回の都議選のときも、選挙妨害ととられても仕方のない報道の仕方があったように感じる。

加計学園がらみで開かれた臨時国会をみた。
画像にハッキリ写っているから、本人も否定のしようはあるまいが、青山議員が質問中に最初から最後まで薄ら笑いをし続けた民進党のS議員の態度は、不愉快極まりなかった。
皆が真剣な議論のやり取りをしている中で、異様としか表現のしようがない。
民進党党首の質問の最後のセリフは、もうネタバレしている「こんな人たちに」であった。
加計学園の問題を明らかにするためではなく、他の狙いが透けて見える印象操作そのものに見えて後味が悪かった。そんなやりかたを続けていては、国民の信頼を取り戻すことはできまい。

違法性がどこにあるのかを明確にできるのかどうかということに尽きる。
もしもそれがあるのなら、総理の退陣もやむなしということになるだろうが、そんなことにはなりなさそうである。
参考人の答弁も「推測」と「思う」という言葉が並ぶだけであったように感じる。
「思った」で済むのなら、証言をするのを見ていて、社会正義を口にするほど高潔な人物には見えなかったというのが実感である。
どうしても守らねばならない規制であるなら、それをできる立場に居てそうしなかった不実が際立つ。これも私の持つ多様性ということでしかないかも知れないが、どうしても意趣返しをしているようにしか思えないということでもある。
半世紀にもわたって学部の新設要請に門前払いを繰り返してきた岩盤規制に風穴があいたことは良かったのではないかという感想の方が強い。

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