2017年7月26日水曜日

どういうものを個性だというのだろうか?

日本人は個性がないと、訳知り顔で言う人が多い。
そうなんだろうか?
それによって大声で自分の主張を押し通そうとするのが個性であるかのように、勘違いすることが多いようにも感じる。
個性を伸ばさなくてはということは、自分勝手や無責任を放任することに繋がっているようにも思えるし、自分の言い分だけを他にも強制するような偏った考え方を助長しているようにも感じられる。
個性というのは、人と同じことをやっていてもキラリと光るものが隠しようもなく現れるものであって、それは才能とも表裏をなしているものだと思う。
奇抜なことをやるのが個性であるとも思わない。

日本人の個性というのは、他人と協調できる能力であって、それができる人が大勢居るから、それが個性だと思わないでいるのではないのか?
それでいて日本人が作り出すものは、かなり独創的だと思える。それらは個性の現れそのものなのではないだろうか。
世界各国では、自己主張をしすぎる人たちが沢山居て、社会を纏めていくのが大変なのだとも聞く。俺が俺がと主張しないと埋没してしまうのだとも聞く。

協調性を重視するのあまり、才能の芽を摘んでしまうことは避けなければならないのは当然として、なにをもって個性として認めるのかというのは考えてみる必要がある。
才能と個性と自分勝手の区別はどう付けているのだろう?
多様性ということも含め、それらの概念がはっきりしないまま使われている言葉に思えてならない。

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