2017年7月19日水曜日

それを差別だとは言えまい

差別と区別は明らかに違う。
国籍というのは区別であって、どこがどう差別だと同一視して言い逃れできるというのだろう?

外国人が日本で国会議員として立候補が可能か?
日本国籍も有する二重国籍なら良いのだとするなら、自民党議員が二重国籍を公表して謝罪した時も、蓮舫議員及びその支援者は、同様の声を上げて「差別」だといったのかと言えば、そうではあるまい。法に反しているばかりか自分のためのご都合主義だとの誹りは免れまい。
大臣ともなれば公人なるがゆえに、個人資産まで公表する。
これをプライバシーの侵害とは言わない。法的安定性というのは、立場によって違う。

日本国の発展のために力を尽くしていると誰もが認める働きをしていたら、このように責められることはなかっただろうけれど、その逆で、どこの国の議員だと言われるような言動が多かった。
それらが、多様性ということで広く受け入れられたとは思わない。
他人には丁寧な説明を厳しく要求するのに、自分はそれを拒み続けてきた多様性はあった。
事実、つい最近まで二重国籍の儘であったことが部分的発表で明らかになったが、そういうことだから公表できなかったのだということに尽きる。
隠していたことを隠して、知らなかったと言い張るしかないということになる。
公人であるのに個人の権利のみ主張し、被差別の被害者であるかのような発言をしてみても、これでは同情は得られまい。

野党がお好きな例えばの話をするならば、外国人が大人数で日本国に帰化し、議員として立候補したら当選する可能性はある。極端なことを言えば国の乗っ取りができることになる。

帰化の基準と言うのは当然あるとして、そういうところで区別するのを差別とは言えまい。
差別だと言えば、何でも押し通せるとしたら、差別というものの定義を明確にし、広く国民に周知することが必要である。
一般的な解釈では「人間としてどうよ?」という判断基準だとしているにすぎまい。

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