2017年7月17日月曜日

報道にリードされすぎていないだろうか?

多少へそ曲りなところがある性格なのかも知れない。
猫も杓子も全部が賛成するということも、全部が反対するということも世の中にはないのだと思っている。
だから、賛成するか反対するかはその都度、自分の頭で考えることにしている。
ただし、まがりなりにでも、自分にとって都合が良い事というのを優先させて判断するということは基本的にないと思っている。
報道姿勢を見ていれば、それでも、全体的にはどれが良さそうかくらいは自然にわかる。
大勢に流されるのは危険なのだと思っているからくる自分なりのの拘りということに過ぎない。
勿論、リスクは自分で負う。そういえば、民主党が政権を取ったときも、選挙の時に危惧するところを唱えて、周りの連中から随分くさされた。

マスコミがこぞって煽り立てる時というのに、どうしても胡散臭さを感じてしまう。
先の大東亜戦争のときも、「一部の軍部が突出して」ということになっているが、戦争へと国民を煽り立てたのは、マスコミもその一翼を担っていたのではなかったのか?という疑念は、今もある。

自民党政権から民主党へと変わることになったときの選挙時も、報道はそれ一色であった。
結果で見れば、その政権の公約は殆どが画餅であり、経済も外交も内政も全くの期待外れであった。マスコミが如何に擁護しようとも凋落の一途を辿っていったという現実があるが、そのことへの反省も検証も、彼らがしたとは思っていない。

報道というのは、感情を煽るのではなく、如何に冷静に物事を判断するかというための事実を余さず伝えることなのだと思う。
自分で考えずに他人の意見に引きずられた人は、結果を必ず人の所為にする。
無責任なことを垂れ流した側は「決めたのは自分なんだから、自己責任だ。」ということにして頬被りするのが常なのである。
それにしても、何としてでも政権を叩こうとする姿勢には、異様さを感じる人が増えてきているのではないだろうか?


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