2017年7月12日水曜日

公平な報道をしないのは何故なのだろう?

戦後の一億総懺悔の時代に幼年期を過ごし、今思えばかなり左がかった先生たちが幅をきかせていた時代に学校に通っていたが、どうやらそれに染まることなく、公平にものごとを判断できるように育ったと思っている。

共産主義以外で、真に国のために尽くしてくれるなら、どこの政党でも良いと思っていたが、長ずるに従って、捏造した歴史観を押し付け、理不尽な要求ばかりする国の言い分ばかりに迎合する政党や、やたらに権利主張ばかりする人たちを段々に良いとは思わなくなった。
そういう意味では健全な保守だということになる。

国民の三大義務、「教育の義務 (262項)」「勤労の義務(271項)」「納税の義務(30条)」も誠実に果たしてきた。
大学は、昔風に言えば苦学ということになるが、働きながら学資と生活費を自らで稼いで通ったけれど、親に不満を持ったことは無い。多くが貧しい時代であった。
とにかく一所懸命に働いた。今の日本は、戦争で生き残った人たちと我々の年代までの人たちの努力が特に与って大きいのだと自負している。
望む結果が得られなければ、自らの努力が足りないのだと反省し、志を高く掲げて諦めたり投げやりになったりすることなく励んだ。

まあ、そんなことを言いたいわけではない。
主義主張や信条はそれぞれにあって当然だと思うし、今の若い人たちに文句をつける気もないが、一部に、自分のやったことを省みることもなく言いたい放題で済んでしまう風潮があることに違和感を覚えてしまうということを言いたいのである。

古くは、北朝鮮が「地上の楽園」だと唱え、帰還を煽ったことで酷い目に遭った人がいることに口を拭って平気だとしているままというのもあるが、ここ数年のことでも沢山ある。

2013年に中国が主導したAIIBのとき、「バスに乗り遅れるな」と叫んだ人たちは、今どのように思っているのだろう?

同じころ、「秘密保護法」というのも成立した。報道の自由が阻害されると大反対したマスコミの現状はどうなのだろう?
報道しない自由を主張するばかりか、今も変わらず偏向報道まがいなことでも言いたい放題でいられるではないか。

「平和安全法制」のときも、「戦争法案」とレッテル貼りをし大反対に明け暮れたが、それがあることで北朝鮮の脅威や、中国からの尖閣諸島への侵犯をかろうじて防げているのではないのか?

直近では「テロ等組織犯罪準備罪」というのがある。大多数の国民はそれを是としていたのが実情ではなかったのか?
これらは、一部野党とマスコミが何故か躍起になって潰しにかかり、より良い法に整備しようとする努力や協力をすることはなかった。

その間にやったことは、森友学園に始まり加計学園の疑惑煽り、都議会議員選挙時の選挙妨害を歪曲して報道するなどの現政権叩くことで、法案潰しを目指したことであった。
現政権を殊更に擁護するつもりはないが、何が国益になるかを無視してまで現政権を貶めるような動きに終始するのは、法案が自分たちにとってよっぽど都合が悪い事情を抱えているのだろうか?との疑念を抱かせる。

臨時国会での前愛媛県知事の証言や、ワーキンググループの原さんの証言を一切流さないのは何故なのか?核心をつく、重大な意味を持つ証言だったと思う。
獣医学部の新設に何も問題ないとなったら困るということだとしたら、もはやマスコミの意義はなくなる。
これでは真相究明は口実だけで、結論ありきなのはマスコミそのものではないか。
マスコミにこそ、説明責任が問われて然るべしだと、残念ながら覚えてしまったのです。
マスコミは、信頼できる組織であってくれないと困るのである。

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