2017年7月23日日曜日

惑わされているのではないかと気になる

加計学園問題は、未だに収まりがつかないように見える。
安倍政権怪しからんという声もあれば、偏向報道だと非難する声も根強い。

既存の報道を離れて、少し考えてみた。
穿った見方だとばかりは言い切れないと思うのだが、どうだろう?

学部の新設などは申請があれば審査してその可否を判断するのが文部省の役割であることに意義はない。
しかし、獣医学部については、文科省は「告示」なるものを設け、申請そのものを頭から受け付けず、門前払いして50年余を過ぎた。
既得権益を守るためなのかどうか知らないが、岩盤規制とも呼ばれる行政方針は異常であったといえよう。
「これではならじ」と言うことで「特区」が生まれたのだと思う。

学部新設に向け閣議決定もなされ、法の手続きを踏んでゆく段階で、学部新設に疑義があるなら、それに反対する挙証責任というのは文科省側に発生するのは当然であり、仕事なのだから期限は指定される。
同省役人の天下り先を探すことを優先していたかどうかは判らないが、期限が過ぎれば検討を急げと催促されても仕方あるまい。
如何に時間を先送りしようとも、挙証責任なぞ果たすことはできなかっただろうから、結果的に獣医学部の新設を、文部省としても認めざるを得なかった。
高級官僚が大事にするのはまず省益。そんなことは誰でも知っている。
他省庁に押し切られて学部の新設を認めたのでは次官の面子は丸潰れになる。
窮余の一策として「官邸の最高レベルの意向である」という文書メモを作り、省内を纏めようと図ったのだ、というのが流れとして理解しやすい。

たまたま野党・マスコミの思惑とタイミングが一致し、違法性はないと言いながらも「うわさ」を煽った。
唯一の頼みは、総理と加計氏が友人であったこと。
「加計学園ありき」というキャッチコピーは使いやすかったであろうし、それに沿って筋書きももっともらしく編集できたに違いない。

しかし、調子に乗って参考人招致をしてみたら、加戸前愛媛知事の証言も原参考人の証言も、その筋書きには都合が悪かったので報道できなかった。
続いて行われた京産大学の会見も京都府知事の会見も、筋書きを根底から覆しかねないから、同じく報道できなかった。
文科省内で携わった仕事内容や個人の趣味が知れると、その証言が信用されなくなりそうだということで必死になって伏せてきた前川氏のことも、自然に知られてしまった。
第一、前川氏の「その文書を見たことがある。」という証言自体が面妖ではないか。当事者であれば「その文書が会議で使われた。」ということでないと、行政が歪められたとする主張の信憑性を著しく欠く。誰も言わなかったが、初歩的な疑問ではないのか。

報道しないことで糊塗し、なんとか筋書き通りに報道を押し通うそうとして伏せた事実は、すっかりバレてしまっている。
マスコミが発表した内閣支持率が30パーセントを切ったと言っているそばから、ネットでは
51.7パーセントの支持率があると流れ、もっと高い支持率が出た結果もあるという。
全体像を掴んでいる人たちの判断と言う他あるまい。

どちらが正しいのか判断するためにも、報道しなかったことも全部、あらいざらい報道してみたらどうなのだろう。
捏造編集報道を続けたのであったという結論になったとしたら、責任を負ってもらわなくてはならない。それこそ説明責任からは逃れられまい。
国益にとって大事な時期なのである。国民は、少ない情報量の中で誤った判断をするわけにはいかないのである。


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