2017年7月25日火曜日

弓の差があったのではなかろうか?

蒙古の襲来は、神風が吹いて撃退することができたと習った。
確かに、あの当時の船であれば、戦いがある程度長引き、そこに颱風が来れば一たまりも無かったろうと思っていた。
しかし、蒙古軍の大規模な上陸を許さず、水際作戦で押しとどめていたということもあるように思える。それが何故にできたか、ということを検証しないでものを言っても始まらない。

日本における弓は、武器というよりも上級武士の素養とみられる側面もあり、作法も厳しいのだと聞く。
源平の時代を引き継ぎ、鎌倉武士は長弓(ちょうきゅう)を駆使していた。
長弓とは、弓の類型のうち、弓幹の長さが長大なものを指す。弓のもう ひとつの類型である短弓は、遊牧民の騎馬弓射などに適し、そのような使い方がされる。
筋力の無い日本人が、弓で威力を持たせるには、矢の長さを長くして長く引く事が理に適っている。
強い弓を少ししか引けないよりも、弱い弓でも長く引いた方がエネルギー量が大きい。
強い弓を引くには、日本人には限界があります。だから、長弓で直線的な狙いで射ます。
来襲側のモンゴル・元の弓は短弓であり、中国や韓国も短弓です。
日本側の弓は、そういう意味で蒙古軍の弓に優り、彼らの鎧を軽々射通したという。
また、日本刀は、彼らの革製の鎧を両断する威力があったのだともいう。
日本軍は強かったと、かの国の書物に書き残されているらしい。
ものごとには理由というものがある。

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