2017年7月24日月曜日

平気で自国の悪口を言える国

日本に住んでいて、日本の恩恵に与かっていながら反日を叫ぶ人というのがいる。
外見は日本人でも外国籍、或いは帰化はしていても先祖が外国籍というなら解らなくもない。
生粋の日本人でありながら、反日を主義としている人というのがどうも良く解らない。
得てして人権を唱え識者を標榜する人に多いように感じるが、言動を見ていて人格が高潔であるとも思えない。なぜかいずれも声が大きくて、他者の意見を封じ込めようとすることが多い。

最近になって多少判ってきたことがある。反日を叫ぶ人はどうやら日本の強さが恐いらしいのである。
「太平洋戦争」と名前が変えられてしまったが、日本人がその志を立てて戦ったのは大東亜共栄圏の名の下であり、「大東亜戦争」とそもそもは言っていた。
東洋を植民地として支配していた西洋列強と、それに与した中国を相手にして、たった一国で勇敢に潔く戦った。
これは、戦勝国となった側の諸国にとって極めて脅威であり、その源となる考え方を根底から排除しなくては安心できないから、日本の歴史に手を加えてでも一億総懺悔の風潮を徹底的に刷り込んだ。
実際には日本と戦って勝ってもいない特亜3国は、捏造した歴史を押し付けようと未だに試みている。それなしでは国論は纏められないし、政権の正統性も揺らぎかねない。
工作員を作ってでも反日を広めなくてはならない、という風に考えると理解しやすい。
そんなに反日に懸命にならなくても、日本人は基本的には五族協和というのが根本の理念に在り、ゆえなく戦いを挑むことなぞない。
靖国神社に参拝することが軍国主義の復活だなどと、誰が本気で信じるだろう?
徹底的に抑え込んだと思っている日本の歴史は、ミッシングリングとはなるまい。
事実は事実として、良いも悪いも併せて明らかになってくる。

日本は太古の昔から、外に出て戦うのではなく自国を守ろうとしたときは、決して負けなかった。
蒙古の大軍が襲来したときもそうであった。
そういう意味でいえば、先の大戦に至ってしまったのは悔やまれる。

戦後の教育を受けたから、日本は駄目で外国は良いという流れがあった。
幕末頃の「薩英戦争」も、強大な武力を誇る英国を相手にした無謀な戦いであったと習ったが、実際は違う側面を持っているのだと思う。
確かに砲撃を受けて薩摩軍は大敗したかに見えるが、勝ち誇って上陸した英国兵が直面したのは、重傷を負っていてもなお立ち上がり、鋭利な日本刀を振りかざして攻撃してくる武士への恐怖であった。公というのが個人の命に優先していた。
一地方の大名にしてこれである。日本全国には同様に鍛錬を積んだ武士が犇めいているのである。
百姓町人に至るまで教育水準も民度も高い。
優秀だとして植民地化の先兵として派遣された宣教師すら、平民に論破されてしまう。
こんな国を相手にしたらどんなに悲惨な結末を迎えるかわからない。
「とても植民地にはできない。」として諦めたのが実情であろう。

東洋で植民地化されなかったのは日本のみである。
同時期、アヘン戦争などという理不尽な戦争をしかけられ、好き放題にされた中国とは圧倒的な差であった。
明治維新を成し遂げてから短時日のうちに西欧列強と肩を並べてしまった能力というのも脅威であったろう。

それでもなお、日本人の血に染み付いている基本理念は「和を持って尊しとなす」である。
礼をもって接すれば礼をもって返し、人間関係は対等なものと考えるから丁寧語を互いが使い合う。恩義には恩義で報い感謝は終生忘れない。敵視されなければ敵対行動もとらない。
そう言うことで2600年余をつないできた世界最古の国なのである。見誤らない方が良いのに、といつも思っている。


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