2013年3月19日火曜日

カンボジャのアンコール遺跡を訪ねました


アンコールワット遺跡を訪ねました。

 

アンコールワットは、12世紀前半、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世によって、ヒンズー教寺院として30年を超す年月を費やして建立されたのだといいます。

1431年頃にアンコールが放棄されてブノンペンに遷都されると、忘れ去られていましたが、後に再発見され、アンチェン1世は未完成であった第一回廊とその周辺に彫刻を施したのだとされていますが、その繊細さ、数量は圧巻です。

 

1632年、日本の森本右近太夫が参拝した時、柱に残した墨書が今も残っていて、日本にもこの寺院が知られていたことをうかがい知ることができますが、ガイドさんが日本人の落書きと説明したのには参りました。

戦乱の度、多くの石像は首を撥ねられたり砕かれて、敷石にされたといいます。

アンコールワットは純粋に宗教施設であるとはいいながら、その造りは城郭と言ってよく、陣地を置くには最適だったようで、ポルポト時代の戦闘時の弾丸がめり込んだままの壁もありました。

境内は外周、東西1,500メートル、南北1,300メートル、幅190メートルの濠で囲まれている巨大なものです。 神聖な場所を飾るため、回廊は精緻な薄浮き彫りで埋め尽くされていました。

 
 
 

 

 

「女の砦」という意味を持つ寺院「バンテアイスレイ

当時のアンコール王朝摂政役のヤヴァニャヴァラーハの菩提寺として建立されたと言 われ、周囲が約400mの小寺院ではありましたが 、外壁は赤色砂岩とラテライトで構築されていて、彫刻は見事なものでした。

東洋のモナリザと呼ばれる女神像は、穏やかな顔をしていました。

 
 

 

アンコール・トム は、アンコールワット寺院の北に位置する城砦都市遺跡です。

12世紀後半、日本でいえば鎌倉時代、建設されたといわれています。

周囲の遺跡とともに世界遺産に登録されているのはご存じの通りです。

アンコールは、サンスクリット語のナガラ(都市)からでた言葉であり、トムは、クメール語で「大きい」という意味なのだと説明されました。

アンコール・トムは一辺3kmの堀と、赤色のラテライトで作られた8mの高さの城壁で囲まれている巨大な城郭でした。

外部とは南大門、北大門、西大門、死者の門、勝利の門の5つの城門でつながっており、各城門は塔になっていて、東西南北の四面に観世音菩薩の彫刻が施されています。

また門から堀を結ぶ橋の欄干には乳海攪拌(にゅうかいかくはん=天地創造)を模したというナーガ(蛇?、竜神?)が彫刻されています

またこのナーガを引っ張りあうアシュラ(阿修羅)と神々の像が並んで刻まれています。
 
 
 
 

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