2013年3月23日土曜日

クマガイソウの花を見ると


5月になると、クマガイソウが美しい花を咲かせます。

今年は暖かいから、4月には咲いてしまうかも知れません。

 

山梨の園芸店で苗を見かけたので、買い求めようと店主に尋ねました。

「鉢植えやプランターでも育てられますか?」

すると即座に、「これは広範囲に根を張る植物なので、無理です。」との答えが帰って来たので諦めました。

 

平安時代末期から鎌倉時代初めにかけて活躍した埼玉県の熊谷郷の武士。

源平の合戦での活躍が有名で、源頼朝をして「日本一の剛の者」と称えられました。

しかし、一の谷の戦い(1184年)で、平敦盛を討ち取ってからは戦場に姿を出さなくなり、その後出家して名を「法力房蓮生(ほうりきぼうれんせい)」と改め、修行に励み敦盛の供養をしたのだという。

平家物語』によれば、この戦いで良き敵を探し求めていた直実は、波際を逃げようとしていた平家の公達らしき騎馬の若武者を呼び止めて、一騎打ちを挑んだ。直実が、組み合って若武者を馬から落とし、首を掻き切ろうとすると、ちょうど我が子・直家ぐらいの齢だった。

直実が「私は熊谷出身の次郎直実だと名乗り、あなたさまはどなた様か」と訊くに、敦盛は「名乗るほどのことはない、首実検すれば分かることだ」と、若い身ながら健気に答えたのだという。

直実は、一瞬この若武者を逃がそうと思ったのだが、背後に味方の手勢が迫る中、「同じことなら直実の手におかけ申して、後世のためのお供養をいたさん」といって、涙をのんでその首を掻き切った。

首実検をするに及び、この公達は清盛の甥である平敦盛、齢十七]だった。

討ち死にの折に帯びていた笛「小枝」(さえだ)は、笛の名手として知られた敦盛の祖父・忠盛鳥羽上皇から賜ったものだという。

一の谷の戦やぶれ 討たれし平家の 公達あわれ・・・と歌に唱われる。

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