2020年2月11日火曜日

リードされるままで居すぎないか


「言向け和す」という言葉がある。

古事記に出てくる古来からある言葉なのだが、神道関係の本で使われる程度だから、一般的には知られていなくても不思議はない。

ことむく」(言趣く・言向く)は、ことばで説いて従わせる。転じて、平定する。
やわす」(和す)は、(1) やわらかにする。(2) やわらげる。平穏にする。
ということであるから、つまりは「人の心を言葉で和らげて平和にする」というような意味になる。

もともと「言向け和す」とは、日本神話で皇祖アマテラス大神が天孫ニニギノミコトを地上に遣わすときに使った言葉。「地上を言向け和して一つにしなさい」と言って降臨させた。
荒ぶる神々や民草を暴力で平定するのではなく、言葉で和して平定しなさい、そして地上を統一しなさいという使命を与えてのことであった。
古事記により伝えられることで知られるその後の2300余年余、ただの一人も「言向け和す」を実現できたことはなかったように思える。
唯一それに近いと思われるのが、出雲王国がヤマト朝廷に国譲りしたことであろうが、これとても完全に説得に応じたのではなく、タケミカヅチとタケミナカタの戦いがあった。

「言向け和す」というその言葉の意味すら探究した人は、今までにいなかったのではなかろうか。
一人だけいたとするそれが、出口王仁三郎だといわれる。

例によって新興宗教は弾圧されたから、王仁三郎は「天皇に反逆した」などと難癖を付けられて、その教えが広まったとは言えないが、実は皇祖が与えた使命に一番忠実だったのが王仁三郎なのであったという人も居る。
それが「言向け和す」をテーマに全81巻の本にまとめられた「霊界物語」なのだというが、まだ読んだことはない。

「言向け和す」とは「他人に何かをして欲しいときに、暴力的な方法で強制するのではなく、双方の和合によって達成させること」と定義づけることができる。これは「戦わなくても世の中を良くできる方法」だとも言える。

世の中には埋もれてしまっている智慧が沢山あるのではなかろうか。
その多くは、マスコミ等によりインチキと決めつけられてしまい、一般人もそれに追随してしまいがちだが、判断基準をどこに置くかというのには素養と見識が求められる。
情報として提供されるものが全て正しいとは言い切れまい。
近くの例では、STAP細胞というのがある。途中までは成功していた研究だったともいわれるが、その全てを抹殺してしまったのは、ニュース記事を読んだだけであって、その研究には全くの素人である民間人の反応だったように思えてならない。

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