2020年2月19日水曜日

かくすればかくなるものと知りながら


有色人種でありながら、開国してから短期間で世界第三位ともいわれるほどの強国になり、あまつさえ人種平等を唱えるようになった国を、植民地を抱えている白人たちにとっては到底容認できることではなかった。目障りで仕方なかったであろうことは想像できる。
米国・英国を筆頭に、特に中国への進出が出遅れた米国は、権謀術数の限りを尽くして日本を叩き潰すことに専念した。
そうなった時に、資源小国である日本に生き残る選択が果たして残されていたとでもいうのだろうか?

当時の歴史を追ってみると、どうも我々が教え込まれていたこととは大分違うように思える。
事実とは違い、勝者に都合がよいように歴史が書かれていることが多すぎるように思えてならない。
彼我の国力差を考慮することができなかったほど、日本の指導層がバカだったなどということはあり得ない。

「かくすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬ大和魂」 吉田松陰の代表的な和歌にうたわれているように、苦渋の決断と覚悟のもとに戦端を開いたのだということが浮かび上がる。

白人国が遠方に位置することを利点と考え、短期決戦で講和に持ち込むというのが当初の作戦であった筈が、緒戦の勝利が劇的であったこともあって、新聞は戦争を煽り、それに乗った国民も追随したから、引っこみ時を誤ったともいえそうである。
一部軍部の独走であったなどというのは、戦後に責任逃れをしたい勢力が喧伝したのだとしか思えない。他人のせいばかりにして済ませられないこともあったのではないのか。

戦後、反省すべき根拠として叫ばれ、誰もが反論できなかった「アジア諸国が日本を怨んでいる」という説も、そういう教育を国内でしている特亜3国以外の国では、恨むどころか感謝しているとの声が大きいと、ここにきて知るに至った人が多い。

歴史を調べていると、いろいろ解釈はあるが、日本は追い込まれたのであるとしか思えない。
だから戦争をしてもよいのだとは言わないが、座して死を待つわけにはいかなかったという側面を考えないと、歴史の評価は偏る。今後段々に判ってくることであろう。
ただ、日本の悪口を述べるだけで裕福な生活を成り立たせている人たちが幅を利かしている間は、隠された歴史が表に出てくる機会は少ないと思うが。

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