2020年2月1日土曜日

どこまでがリベラル?


リベラルと極左は明らかに違うと思うのだが、チュチェ思想に染まり切った者をリベラルだということにして潜り込ませ一律に扱うのは違うのではないか?と、いつも思う。

リベラルは多様性を認めて他の意見を聞く姿勢を見せるが、極左は違う。自分以外の意見を聞くことを絶対にしない。
リベラルと極左の見分け方は割と簡単である。
まず、そんな意見を受け入れる人は殆どいないにも拘わらず、国民の代表者であるかのような言動をして恥じず、平和を口にする。
次には、自由主義陣営のためになりそうなことには反対し、その主張内容は特亜3国のためになることを優先させるよう巧妙に述べることで判る。
よって立つ国を貶めるような人がリベラルである筈がない。悪口から生まれるものなどに価値があるとは思えない。
更には、問題が解決されることよりも、揉めることで社会が分断されることを望む。
それが証拠に「ではどのようにしたら良いのか?」と尋ねると、「私はジャーナリストだから批判はするが、解決策を考えるのは別の人だ。」と言って逃げる。
自分の言動に責任を持たず、他を貶めることだけで済ませられるなら、お気楽なものである。
「最低朝」のA氏などがそのいい例のように感じる。

日本は良い国である。何を言っても命の危険に晒されることはまずない。

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