2020年2月18日火曜日

製品が優れているだけで競争力が持てるわけでもない


東西冷戦が終わったとき、多くの人々は経済力が世界政治のカギを握ると考え、日本とドイツが支配する世界が訪れると予想した。
しかし、これは軍事力を考慮しない議論である。「経済大国はやがて軍事大国になる」と主張しているが、経済大国になるには軍事力がその背景にないと現実的には難しい。
それが証拠には、軍事力の弱い日本もドイツも息切れしてしまって、それが強い国の後塵を拝すようになってしまっていることでも判る。
日本の貿易品が苦戦しているといわれても、致し方ない。
表立って主張されることはないにしても、軍事力が経済活動の背後にあるのは常識ともいえるものであろう。
マルクス主義の伝統的な考え方では、経済がパワーの下部構造であり、政治制度は単なる上部構造にすぎないとするが、そんなことはあるまい。軍事力は厳然として存在する揺るがしようもないパワーなのである。
冷戦終結時のEUと現在の中国が、ソフト・パワーを持ち得たのは経済的な成功に負うところが大きいにしても、それがいつまで通用するというのか?軍事力の役割が終わったわけではない。
中国のハード・パワーが隣国に脅威を与えることができると気づいた今、彼らは軍事的な保険の強化をより求めるだろうし、米国がそこに危険を感じ取れば、それを阻止しようとする動きに出るのは当然であろう。今がそうなのではないだろうか?

市場や経済力は、政治的な枠組みの他にもその国ごとの社会構造に依存している。
その枠組みは、規範や制度、諸関係だけでなく、強制力の管理にも依存しているから、独裁国家が一見したところ成功しているように見えることが表面的にはある。
一部社会学者がそれをもって、日本などの民主主義国家の行き詰まりだなどと言うが、そんな独裁国に住みたいと思う者が果たしてどれだけいるというのか。

日本は駄目だ駄目だと批判を繰り返すのを売りにする彼らが、その褒める国に亡命してでも出ていこうとしないことでもわかるように、日本は良い国なのである。
文句を並べ立てているだけで稼げる。
彼らは国を貶めることには積極的だが、ではどうしたらいいのか、ということについて説得力のある案は持っていない。
最近、自国を最優先する主張を掲げる右翼的政治家が世界各地で支持率をあげているが、いちいち文句をつける政党に対して対応することで法案の審議が滞ることに嫌気がさした国民が増えたということの現れなのであろう。それは民主主義を否定する動きとは違う。右翼でもリベラルよりはいいと思っているからのように見える。

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