2020年2月9日日曜日

男女格差ばかりを問題視するが


男と女、その区別は生物として生まれついたとき、等しく神?から与えられた性なのだと思う。
その配材は変えようがないとしたら、何らかの意味がある。
とやかく理屈を並べ立ててみても、厳然としてそれはあり、生まれてきたときの運命だとしか思えない。
その特性を認識し、発展させることが大切であることは疑いないと思うのだが、最近は違った方向に議論が導かれているように思えてならない。
セクハラだパワハラだ男女同権だなどなど、確かに軽く見てはいけないことだと思うが、そもそもの違いを真剣に考えることなしに、表面的現象のみをなんとかしようとすると、ギクシャクした関係しか残らない。
人は、関係性の上に成り立つ。だから人間(人関)という言葉が生まれた。どちらか一方で成り立つものではない。
一部政治家が、結婚しないのは女性が名字が変わるのを望まないからだととくとくとして述べているが、それは違うのだと思う。
男性が女性を愛しいと思うよりも面倒なものだと思うようになったことの方が原因として大きいように感じられてならない。
周りには、結婚したがらない男性の方が、結婚したい女性より多いように見受けられる。
「手鍋提げても」という言葉はもはや死語と化した。ともに無一文からでも幸せな家庭を築いていこうと覚悟することがなくなってしまったからだと思うのだが、違うだろうか?

世の中の仕組みに足りないと思うものを、段々に改善していくのは良いことだと思うが、在るものに感謝することがその背景にはなくてはならない。
攻撃的な姿勢でものごとを主張する前に、考えねばならないことなのだと思う。

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