2020年2月5日水曜日

そんな嘘を信じこまされているから


日帝の「七奪」なんていうお花畑のような絵空事主張を信じているのは、朝鮮民族だけであろう。
どこをどうやりくりすればそうなるかという嘘を土台にした主張からは、何事も築きあげることはできない。
今もそうだが、彼の国から奪うようなものは何もなかった。

彼らの言ういわゆる「日帝三十六年の七奪」は噴飯もので、韓国の戦後世代が過去の日本について常に批判するときに口にする言葉だが、歴史事実すら理解できなくしてしまった大韓民国建国時の指導者の自国民に対する責任は大きい。

「七奪」は、一・国土、二・主権、三・生命、四・土地、五・資源、六・国語、七・姓名、以上の七つが日本に奪われたという主張である。
だが、これはただ白いものでも黒と言い張りたい韓国人の「独創」と「独断」の代表的言説だと言って過言ではない。
なんとなれば、日韓併合時の朝鮮半島の写真を見れば一目瞭然である。そこに住んでいるのはEarthen manそのものの不潔極まりない民たちであり、およそ文化のかけらも感じられない。
それにもまして、彼の国の彼らの精神構造が信頼できないことを見破っていた日本の知識人たちは、最後まで併合に反対していた。
はたせるかな、その通りの結果を今に引きずることになった。

一、国土についていうなら、大日本帝国は日韓合邦を核とする近代国民国家であったが、それを「対等な合邦ではない」、或いは「韓国併合」だと反論する人が日本人の中にも多いのは事実であろうが、英仏をはじめ、いかなる合邦国家であろうと、世界に二人の君主の並立する国は現実的にはない。
李朝末期、すでに韓国は財政的に破綻していて、国家破産に直面していたのが実情であり、国としての体をなしていなかった。清の朝鮮省編入の危機から救い出し、清の属国から解放して、王族と重臣まで華族として遇し、その国民も含めて地位向上せしめたのが日韓合邦の結果である。
国土を奪ったなどとは程遠い。

ニ、主権を奪ったというが、19世紀までの国際情勢下においては、日本、清国、ペルシアでさえ「半生の国」であり、国の主権など主張できる状況下になかった。台湾などは住民がいても「無主の国」と見做されていたのである。朝鮮は日清戦争後の下関条約に至るまで、清の属国として扱われ「主権」などというものは全くなかった。
日本は維新による開国後、血と汗と涙で「自主の国」としての立場を確立、韓国も日韓合邦によってともに主権を持ちうるに至ったのである。

三、日韓合邦後、殖産興業による生産、生活の向上、医療衛生の普及により、米の生産量が倍増し、それに伴って人口も倍増した。平均年齢が伸びたことだけでも、生命を重要視したことが判る。
当時日本のモデル国の一つであった大英帝国アイルランドの人口は、イングランドと合邦した後に三分の一まで激減した。韓国人の生命を奪ったどころか、平均寿命は延び、人口も激増したことを韓国はどう説明するのか?
植民地支配だというならば、支配国側の者が被支配国の者の生命を奪っても罪に問われることはなかった時代に、日本人が朝鮮人を死に至らしめたら殺人罪に問われたことをもってしても、命を奪ったなどと言うとしたら、それは言いがかり以外のなにものでもない。
李氏朝鮮時代の両班が自国民を簡単に殺せたのと比べたら、格段の相違がある。

四、土地を奪ったというが、土地というものは生産価値や交換価値しかない。奪ったり、奪われたりという考えは両班時代の土地観で、法治国家日本の考えではない。合邦時代に日本は有史以来はじめての半島国土調査と国土開発計画を行った。
日本の有能な官僚を派遣して土地の測量をし、その所有者を彼らの申告に基づいて確定したが、その殆どは両班のものとなった。
中には持ち主が判然としない隠し田のようなものがあったことからそれを国有化し、後に農民にただ同然で払い下げた。
日本人が入植し荒れ地を開墾したのはそれ以後のことであるから、決して彼らの土地は奪っていない。
米産だけを見ても逆ざや制で、たとえば、1943年の政府買い入れ価格は、64円50銭、市場価格は42円。だから米産は倍増した。土地も米も奪うどころか彼らを豊かにしたのだ。

五、資源を奪ったというが、日韓合邦時代以前に乱伐により半島はすでに禿山と化しており、地下資源も枯渇に瀕していた。朝鮮総督府は、植林をはじめとする治山治水と殖産興業に力を入れ、産業化をすすめる一方、赤字だらけの地下資源の開発には、巨額の補充金、奨励金を投入した。

六、彼らの自慢する韓国の国字ハングルの創出は、やっと15世紀になってからのことで、アジアの中ではもっとも遅い。しかも中国からの謀反を誤解されることを恐れ、実質的には一部の婦女子を除き使用していなかった。何よりも彼ら自身がハングルを諺文(おんもん=卑しい文字)として打ち捨てられいて使われていなかった。
日韓合邦後、90%以上とも言われるあまりに低い朝鮮人の識字率を何とかしようとして、埋もれていたハングル文字を見つけ出し、文法上も不完全であったものを日本人学者が体系化し、やっと漢字・ハングル混じりの文章体系を確立たのである。日本語の普及率は20パーセントに止まり、国語を奪ったことなどない。

七、半島の創氏改名の歴史は、統一新羅朝の唐、高麗朝のモンゴル、そして日本時代と三回あった。合邦以降、四族平等、万民平等の原則にもとづいて、名前すらなかった女子や、国民の半数前後も居たという奴婢(奴隷階級)にも姓氏をあたえた。創氏改名も台湾の許可制とはちがって、自己意思による自動申告制だったので、姓名を奪ったどころか、近代国民国家の国民として姓氏を与えたことを格別に評価すべきである。
満州にいる朝鮮人は張作霖により虐殺されたこともあって、日本人名を名乗りたいとするのは彼らの願いでもあった。もとよりそれは強制ではないから韓国名のままでいることは自由であり、それが証拠には、日本軍で将官にまで進んだ者の中に韓国名のままでいることでも確認できる。
名前を奪ったなどというのはとんだ言いがかりで、名前もなかった者に名前を与えたのである。

いかに血迷ったとはいえ「七奪」などといって国民を洗脳するとは、いかにも韓国人らしいが、それを疑いもせず受け入れたしまう国民の民度というのも哀れである。怨むどころか日本に感謝すべきなのではないのか。

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