2020年2月25日火曜日

迷信と言い切れない意味がありそう


日本に古来からある風習を顧みなくなってしまっているが、それが気づかぬうちに障りを招いているかも知れないのではなかろうか。迷信などと言って無視しきれないから、風習が続いてきた側面はありうるのだと考えた方がよさそうです。

「事八日」というのは28日と128日の行事である。
八日節供、八日待(まち)、八日ぞう、事始め、事納めなど各地で様々ないい方があるが、これらを総称する民俗学上の術語として、残り伝えられている。
中部地方以東では両月とも行う所が多いが、北陸地方から西日本では12月に重点を置いて行っている。ただし近畿、中国地方ではこれに関連する行事として旧暦3月以降に「春事(はるごと)」という行事が広くある。両月とも行う所では2月と12月が対応し、28日を「事始め」、128日を「事納め」とよぶのが一般的である。しかしこれを逆にいう所もある。
事八日の内容は、家の軒に目籠(めかご)を高く掲げたり、門口にヒイラギやイワシの頭、ニンニクを取り付けたり、あるいは餅(もち)や団子を木に挿して門口に立てたりしている所が多く、これらは疫病神、魔物や一つ目小僧、みかわり婆(ばあ)さんといった妖怪(ようかい)などが家に訪れてくることを防ぐためのものと伝承されている。こうした伝承の本来の意味は、この日に来訪する神があり、物忌みすべき日であることを示している。

それとは関係ないかもしれないが、事代主神というのが在る。
事代主は、八十神を降して出雲の国を造った国つ神、大国主の子でありながら、宮中に祭られる八つの神様の一つである。八重事代主神とも八重言代主神とも呼ばれる。
ここにも八という数字が出てくる。
宮中八神として祀られる神々が在るのだと漏れ承るが、天照大神はここにはなく、事代主は入っている。実は古代では皇室には天照大神が祭られていたことはないそうで、これも不思議である。
皇室(天津神)において、出雲の国の国譲りで多大な功績と力を認められて祭られているのかも知れぬ。
コトシロヌシ以外は、造化三神とか晩餐を司る神様とか祭っており、いわゆる天津神系の神々である。
コトシロヌシは地上の最高神とも言われている。つまりこの世での「コト」を天に代わって行う神様ということと、「コト」は事、言、異という表現もできて、言で言えばコトタマ使いかシャーマンの要素もあったかもしれない。異は異なるということもあり、他の神々とこの神様はちと違うとう意味での異と考えられるかもしれません。
いづれにしても、国をつくった大国主を支え、そして次のステージにもっていったことに力を及ぼした存在であったことは間違いなく、古事記でも多く割かれる出雲の国譲り神話に残ることでもそれと知れる。
そこにあるのは、自分たちだけでなく全体をとらえて判断できるコトシロヌシの存在により、新しい時代へ向かうことになって行った様子。
日本の神様は沢山いますが、ひと際難しい時代の判断をしっかりできたという神様の話は、あまりないようである。託宣の神としても崇められるが、もっと注目されても良い日本の神様であると思います。

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